歴史と言葉シリーズからは、少しずれてるかもしれないです。
昨日、奈良国立博物館に出かけて、「空海展」というのを見てきました。例によって入場券を買うための行列があって、こんなんじゃ中も混んでるだろうから、空海さんはいいから、仏像館だけ見てみようと、仏像館の入口に行ってみたら……、
(京都国立博物館は敷地に入るためにゲートをクリアしなくちゃいけないですけど、奈良国立博物館は奈良公園の中に東館と西館と仏像館それぞれがバラバラに存在しています。地下ではつながっているので、特別展を見た後に仏像館には地下を通っていきます。昔は奥さまと地下のみちの途中にあるカフェでごはんとか食べたけれど、最近は奥さまと奈良にも行ってないですね。あんなに外国の人たちばかりいたんじゃ、うちの奥さまは行かないだろうな)
仏像館の受付で空海展のきっぷが買えたので、だったら混んでても行ってみるかなと、入ってみることにしました。
空海さんは、入唐した。最澄さんも一緒の船団に所属していた。でも、二人の格は違っていて、国の仏教研修の代表として参加した最澄さんはエリートだからエッセンスだけを学んでさっさと帰国したそうです。
一方、空海さんは向こうにわたってから大活躍だったそうです。最初の港の寧波(ニンポー)とか、長江沿いの町に到着すると、他の人たちは向こうの人とうまくコミュニケーションがとれないので、字にも自信があった若き僧である空海さんは、堂々とした字で筆談し、向こうの人もこの若く、物おじしないいかにも立派そうな一人の日本人を重宝し、次から次と局面を打開することができて、一行はなんとか遣唐使としての仕事をできたということでした。
当時は唐の国と二百年くらい付き合っているし、何度か人の往来があったのだから、もう少しバイリンガルな人がいてもよさそうだけれど、空海さんという若き才能によって初めて人の交流が進んだということでした。何だか今の日本の外交も同じようなものではないのか、現地で派遣された人たちは情報収集などはしているけれど、せっかくそちらに赴任したものの、目はずっと本国にあるような、内向きの外交なんじゃないか、とか思ったりします。
どうして、現地でシャシャリ出る外交ができないものかなあ。私だってできないのだから、気持ちはあってもできないですね。
たとえば、日本は中国と五十何年も付き合っていますけど、いまだにちゃんとした交流ができていない。やはり、どんなに貿易が進もうとも、首脳外交があったとしても、たくさんの観光客の往来があったとしても、人と人とをつなぐのは、ある優れた意志ある力がないと進まないものなのかもしれない。
中国からはかつて孫文さん、魯迅さん、周恩来さん(?)、テレサ・テンさん?、アグネス・チャンさん?、中国や香港から、日本にいい風を持ってこようとした人たちはたくさんいるような気がします。
それに比べて日本から、中国のために何かしてあげようという人がいたでしょうか? たぶん、企業の方たちが、会社の方針もあって過去には中国にどんな風に貢献できるか、どんな商業形態がいいのかと、自分たちの企業の発展のことも考えつつ、中国経済を支えようとしたりした人たちはたくさんいたでしょう。
でも、今、その中国の人たちから敬愛される日本人がどれくらいいたことか? サッカーの岡田監督がずっと中国で頑張っておられたこともあったけれど、野球やらサッカーなどでは日本から中国に何かを伝えようとする人たちは今もいるかもしれないな。
そして、やがては、日本の人たちなんてもう必要ないよ、と言われてしまう時も来るでしょうね。技術も要らない。経済も日本なんか目じゃない。政治は話にならない。文化は、まだ日本に学ぶところはあるかな? そんな風に、日本なんて相手にされないし、日本の人たちも中国のために何かしてあげたいという人はいなくなりました。
かくして、日本と中国という二つの世界を結ぶのは、現在でも空海さんくらいしかいない、ということになりそうです。
もう二千年近く、日本は中国から何かもらえるものはないか、それだけしか考えてきませんでした。だから、中国の人たちからバカにされます。中国はたぶん新しい、日本にとっては第二のアメリカになりうる世界です。政治体制が不安定で、人々は束縛されてるから、生きていくには窮屈な世界です。
でも、これから政治が変われば、阿倍仲麻呂さんや空海さんや、平清盛さん、鎌倉時代の仏教世界、徳川家康さんの朱印船など、やはり目的地になる世界なのだと思われます。どれだけ中国大陸のためになることができるか、中国の人々のために自由を取り戻す戦いを推進する人が生まれてもいいわけだけど、そこまでして今の中国政府と戦いたい日本人もいないだろうしな。
やはり、日本人は、自分たちのスケールで、自分たちの世界を変えていくくらいしかできないでしょうか。
2024年の関西地方は、変てこな血管オバケとかわいいシカが見守っています。自分たちで生きるのも精一杯の人々なのに、とてもよその国のことなんか考えられないですね。それはそれで仕方のないことですね。
私たちは、外国の人たちのもたらすお金を期待して生きていくしかないんでしょうか。