この春は雨の多い春でした。そして、何となく寒くて、サクラの開花は遅れて、それは自然なんだから仕方ないけど、サクラを楽しむのも自分たちの流儀ではなくて、何だかいろんな人に気兼ねしながら楽しんだような気がします。いや、楽しめたのかどうか、それさえわからなくなりました。
昔みたいに、仲間が集って、桜の木の下でビニールシートしいて、おしゃべりしながらゴハン食べるとか(私は数えるほどしかしたことないですけど)、そういうこともできない状況です。人が多いし、一つのところに集中するし、サクラの名所は世界中から「日本のサクラ」を見に行こうという人たちがあふれていました。
落ち着いてゴハン食べる雰囲気はなかったかもしれない。いや、みんなでゴハンを食べる習慣なんて、もうみんな捨てたのかもしれない。まあ、それならそれでいいけど、外国の人たちが公園で大騒ぎすることになれば、日本も攘夷の志士たちが現われるかもしれないです。尊王攘夷・開国反対だなんて、幕末じゃないのに、時代錯誤の人たちがまたやって来るかな。
3/25、自販機で18キップを買い、そのまま松阪から亀山、亀山から加茂、加茂から奈良、雨の町に向かいましたが、あまりにたくさんの人たちが三条通を突き進んでいくものですから、私は興福寺の五重塔を見たら、もう引き返すことにしました。そんなに奈良を歩く気にはなれませんでした。
それより、大阪に行き、母に会い、ゴハンでも食べて、母の話を聞いて、そんなことをしなくてはと思っていました。それで、近所のスーパーで待ち合わせて、お買い物を少しだけして、しんみりゴハンを食べて、寝てしまうのでした。弟たちが来るはずでしたが、彼がすっかり忘れていて、私たちは待ちぼうけで、もう諦めてふて寝してしまった。
3/26、翌日も雨、ゆっくり朝ゴハンを食べて、またも電車に乗るのでした。大阪駅まで出て、そこから新快速で京都へ。ほら、昨日もそうだったけれど、この日も全然外を見ないし、人も観察する気になれなかった。混雑していたというのもあるだろうけど、何だかソワソワして、早く電車から外に出してほしい気持ちで一杯でした。
ごった返している京都駅をトボトボと抜け、ここ1点だけと決めていた東本願寺の渉成園というところに行きました。
雨のお庭で、お花もそんなに咲いてないけど、観光客はそれほどでもなくて、こんなに京都駅から近いのに、訪ねる人はいないものかと感心して、歩いて回りました。そうすると、雨も上がって、青空も見えてはきたけれど、もう家に帰る気持ちがいっぱいで、外も見ないで黙々と電車に乗り、家に帰っていきました。
奈良、京都、サクラが咲いてもいいけど、まだ咲ききってなくて、ずっと冷たい雨は降るし、気持ちに余裕がなくて、通り過ぎるだけでした。私はそんなだけど、その他のお客さんたちは、あちらもこちらも、ものすごく貪欲に日本を観光しようとされていました。
そう、いつものヒネクレ癖で、みんながワイワイ騒いでいる時には、逆に小さく自分のカラにこもるところがあって、どんなすごいところであっても、私はもう心開かれなくなっていました。
3/29、雨、朝早く家を出て、待ち時間がほとんどないままに、亀山・名古屋・中津川までたどり着きます。ここに9時過ぎに到着。しばらく松本行きを待ち、塩尻で乗り換えて、甲府に13:47到着。塩尻から甲府までの2時間足らずはずっと感動して右左を見ていました。この時はアドレナリンが出ていた。
そして、甲府のお城から富士山も見えて、この日のお泊りの大月まで向かうことにしました。山梨県立美術館に行くバスがあまりになくて、それは断念してしまう。
3/30、晴れ、大月から河口湖、河口湖から御殿場、御殿場から新富士へと富士山を時計回りに半分回って、山梨側と静岡側の温度差を感じました。まるでリニアの両県の違いのように、山梨はものすごくホットなのに、静岡はとても冷めていた。外国の人たちもあまり見かけなかった。
3/31、晴れ、富士から東海道線の金谷というところで降りて、大井川鉄道を見に行く。タイミングよくSLを見られたけれど、とても花粉がひどくて、すぐに帰りたい気持ちになり、納得して豊橋~名古屋~松阪と移動したのです。
そういうこの春の鉄道旅でしたか。雨でも晴れでも、花粉症はひどくて、スギでもヒノキでも、嫌になるくらい根気もやる気もなくしてしまい、せっかくのチャンスをたくさん失ったとは思います。
でも、とりあえず移動することが命だから、よくわからないけど、移動してみた、というところでしょうか。