インドア派のくせに、窓の向こうの風景には憧れてしまう。
窓をすり抜けて、外に出てみたら、「あれ、自分はどこへ行くんだったっけ?」とやりたいこと、行きたいところ、見たいものがわからなくなるくせに、窓の中から外を見ると、外で活躍する自分のイメージはふくらんでしまう。
そこには素敵な女の子もいる。軽やかな笑い声もある。あたたかな人の輪がある。そんな気がしてしまう。
そして、実際に外に出てみたら、いっぺんにしぼんでしまうなんて! どうしてこんなに内側と外側とでギャップが起こるんだろう。なんでイメージを現実は乗り越えられないんだろう。ずっとイメージだけが先を行くんだ。
イメージと現実は違うものなのだ、ということもあるんだろう。イメージや理想の中では、自分は軽やかだし、みんなの中心になっていることが多い。けれども、いざ現実の場面では、無表情で自分を守ることに必死になっていることが多いし、せっかく気持ちを伝えた、きっとわかってくれるだろう。そう思うのに、現実は、自分の思いは却下され、誰かの思惑が動いて、自分では納得のいかない状況になっていて、それでも生きていかなきゃいけないから、気持ちを切り替えて、現実を受け入れて、とりあえずしばらくやってみよう。なんていうことになる。
現実は、イジワルで、納得がいかなくて、つまらなくて、誰かの強い思いがまわりを振り回していく。そういう現実に疲れると、「もう嫌だな、やってられないよ」なんて言うことになる。
それでもいいんだよ。ボクたちは受け入れていくしかないんだよ。
どうして窓の中から見る風景と外の風景はつながらないのかなあ。同じ空間でもあるし、同じ時間がそこに流れているはずなのに、そこにはものすごいギャップがあるのです。
ギャップを乗り越えようと、窓から飛び出してみたら、同じ空間ではあるのに、どういうわけか私たちはケガをすることになっている。
なぜなんだろう。大きくなる薬。私を食べてというチョコレート。魔法のじゅうたん。何でもいいから、ギャップを飛び越えたいけど、たいていはじっと耐えるしかないみたい。
窓に張り付いてみよう。現実と溶け合うこともいつかあるかもしれないから。