土曜日の「ブラタモリ」は軍港都市・呉を歩いていたみたいでした。
軍事的なことにあまり興味が持てなくて、なんとなくで見ていました。ところが、番組の後半あたりで、米軍の空爆が軍港の心臓部の造船基地地区を攻撃対象として全く除外していたというのを知って、何だか怖くなりました。
米軍は、日本を占領したら、軍関係の基地をすべて接収して、自分たちが利用することを考えたのだと思われます。そして、実際にすべての造船施設はそのまま戦後も利用できて、数年後には巨大タンカーも建造されたということでした。
計画的に空爆も実施したということでしょうか。そして、占領後の自分たちがどのように利用するかも計算していた。
そうでした。対日戦において米軍の空爆というのは、基地がターゲットではなくて、一般市民を厭戦的気分にするための、戦意喪失的気分を生み出すため、たくさんの民間人を狙ったものでした。
木造の建物が多い日本の都市を、すべて焼き払うための爆弾が用意されました。建物を壊すのが目的ではなくて、建物を燃やし尽くすための空爆を考えたんですから、理論的に攻撃は行われていきました。
大きな巨体のB29が、ノタノタと日本の空を飛んでみたところで、日本の大地から飛び上がって来る飛行機はおらず、悠々と飛び、攻撃プランを淡々とこなし、用事が済んだら、そそくさと基地に帰っていたなんて!
そして、前々から原子爆弾を日本という実験台で試すことも予定されていた。そのターゲットとして広島、小倉といった西日本の軍関係の基地がある町が設定され、この二つの都市は空爆計画から外しておいて、最終的な実験を行うためにキープしていた。
そうですね。奈良と京都は空爆計画から外してくれたんだから、それは有り難かったけれど、でも、そうでない町はひたすら焼かれねばならなかった。戦争とはそういうものであるらしい。
運命の八月六日と九日、広島には落とされ、小倉は雲で見えなくて、やむを得ずに長崎に落としたなんて。そこに人が生きていることは関係なかったのです。
どれだけ被害が出るのか、結果だけが楽しみであったなんて、軍関係の計画を練った人は恐ろしい人でした。わりとドライに結果を実証したことでしょう。その惨状は彼らには仕方のないものとして切り捨てられていた。彼らには大義名分がありました。この戦争を終わらせるため、原子爆弾は切り札になる。切り札は効果的に使わなくてはならない。そう思えたでしょうし、ずっとその理屈を通して来たわけです。市民がかわいそう、気の毒と感じる部分にはふたをしながら。
そして、何十年も経過して、今もアメリカの核の傘の下にいる私たちがいるのでした。
私たちは、アメリカの政府には「原爆の責任を取れ!」なんて言わずにずっと過ごしてきました。今も心のどこかには引っかかっていますけど、それは自国のとんでもない戦争をしでかした人たちへの怒りの方が大きかったからなんでしょうか。
今も愚かなことが行われていないか、気にはなります。たぶん、いやいやながら合衆国の世界戦略の一翼を担わされているかもしれない。
日本という国は世界を物理的に支配するという考えを捨てた国なので、自分から戦略的に働きかけない国になれました。無責任だとずっと言われてはいるけれど。でも、仕方がなくて、対中国・対北朝鮮・対ロシアに向けて、いろんなところでアメリカからの条件を呑み込まされています。なるべく、そういうことにはハイハイと返事をして、実利だけを得ようというセコイ考えではあります。
私たちは、好むと好まざるとに関わらず、アメリカ合衆国の同盟国という位置の中に生きています。軍事的に・戦略的にアメリカとどのように関わっていくのか、それは私たち自身が問われていることなのだと思います。
軍事的なこと、そんなの知らないでは許されないのかな。できたら、そんなこと一切なしにして欲しいんですけど。