何もかも自粛していますので、日曜日の午前中はテレビを見ていました。
三重県立美術館所蔵の日本画家・横山操さんの「瀟湘八景」を、もう三十年ほどかけて、やっとその良さが分かったような、とんでもない私ではありますので、たいしたことは言えないんですけど、今さらながら、横山さんって素敵な先生だったのだなと思えています。
1973年に亡くなっておられるので、どう頑張っても、私がお会いできるチャンスはなかったけれど、もしお話とか、ご指導いただけるものなら、それはうれしかったでしょうね。でも、私は画学生ではないので、ただ、その作品群をいいなあと見てるだけですか。
15歳くらいで戦争に召集されて、5年間中国大陸で兵士をして、軍が解体されたらすぐに帰りたいのに、そのまま5年間、今のカザフスタンあたりに抑留されたそうです。そこをよく耐え忍んで、帰国したら30歳になっておられた。
今考えると、30歳なんて、まだこれからという気がしますが、横山さんはきっと15年間生きるか死ぬかという厳しいところにいたはずだから、帰国した時はそれなりに老成していたのかもしれません。
それから、いろんな人と出会ったでしょうか。何しろ10代半ばで新潟から東京に出たのも、絵を描きたい一心だったそうです。30歳になっていても、その初心は変わらず、絵を忘れてはいなかった。
懸命に風景から絵を取り出すことに努力されたみたいで、上野の谷中に五重の塔があったのが、それが消失したら、その焼け跡を作品化してみたり(1955年ころ?)、とにかく、風景から何かを取り出す情熱と、それを独自の技法で作り上げる技能を身につけていったようです。まあ、戦争中でも絵を添えたハガキなど描いてたみたいだから、ずっと心にはあったんですね。
海外にも行かれたみたいで、日本画家だけど、近代文明の国の合衆国を訪れています。ニューヨークのビル群も自分の世界に取り込んだけれど、そんなものより、圧倒的なグランドキャニオンが気に入ったのだとか……。どちらかというと、自然を描くことに惹かれていたようでした。
時折は、ふるさとである新潟をテーマにして、空漠たる雪原も描いたりしておられた。
弥彦山に沈む夕日に少年の時の思い出もあったとか……。
そういえば、人物は描かない人だったみたいで、風景にすべてを語らせる作品作りをしていて、その風景は具体的なものをどんどん飛び越えていき、象徴的・抽象的世界になっていかれたんですね。
どこにも人の気配は描かない。でも、そこに人が関わろうとする、何しろ画家さんが風景に取り組んでるエネルギーがあるわけですから、その情熱を見るものは受け取るというのか、そういう世界でした。
表紙の雪の世界も、一列に植えられた木々は、稲を干すときに使う木なのだそうで、無人世界なのに、人々の営みは感じられるし、ものすごく具象的だなと感心もしました。もっと訳の分からない配色と線が描かれているのかと思ってたら、とても穏やかな絵もあるみたいでした。
それらが、三重県立美術館にある「瀟湘八景」という大きな絵につながったのかと、横山さんの生涯をやっと知ることができました。とはいうものの、53歳で亡くなっておられるし、日本に帰ってから全速力で絵を描かれ、学生さんたちを指導し、彼にしか描けない風景を切り取り続けたんですね。
また、見たいけど、いましばらくは新潟に作品たちは旅しているみたい。帰ってきたら、見に行こうと思います。