ルーブル美術館にこんな大きな絵があるそうです。「カナの婚礼」というタイトルなんだそうです。日曜の朝、ぎっくり腰になったまま、ゴハンも食べたけど動けなくて、ずっとテレビを見続けていて、その時に知った絵でした。
ネットには、絵と一緒に自撮りする女の人の姿もあるから、ひょっとしたら写真もOKの絵なのかもしれません。ギリシア風の宮殿の中で、みんなが婚礼のお食事をしている姿のようです。
タイトルの「カナ」さんって、何かゆかりのある人なんでしょうね。ど真ん中の赤と青の衣装を着けた人がイエスさまなんだそうです。
確かに、テレビで見せてもらった時も、そこだけ光り輝いているというのか、こんなにたくさんの群像が描かれているのに、イエスさまだけ、違う時間を生きているというのか、独自の空気感を出しているようです。
どんなエピソードがあったのか、私は詳しくはわかりません。ただ、みなさんが婚礼だというのでお酒を飲んで、おしゃべりして、お料理食べて、今の世の中からすると、とてもうらやましい時間をみんなで過ごしているようです。
どんなにお酒がおいしくても、若い二人にことばはたくさん降り注ぐだろうけど、かつて人々が世界中でしてきたことでした。(タリバンの人々には、そういう楽しみもないんだろうか?)
みんなが、昔も今までずっとやって来たことを、たまたま大きな絵に描いて、そのひと時を封じ込めました。
番組では、ワインがなくなったので、みんなが大騒ぎしそうになった時に、イエスさまが「甕に水を入れなさい」と言われて、その通りにやってみたら、入れた水がワインに変わってたなんて、そういうエピソードもあったと紹介されていました。
イエスさまも、そんな手品まがいの奇蹟をみんなにこっそり披露したそうですが、いろいろと気を使ってあげる優しい方なんだなと、素直に思いました。これは、何かベースになる話がありそうでした。
それから、イエスさまの少し前の方のテーブルに砂時計が二つくらい描かれてたようで、こんなに楽しいひと時にも、いつか終わりが来るし、それぞれの残された時間も刻一刻と過ぎていくのだ、という小さな教訓も描かれているそうです。
いつもだったら、「何だ、つまらない。そんなところに教訓たらしいことを描くなよ」と反発してしまう私ですが、ぎっくり腰で動けないままテレビを見ていた私は、素直に受け入れたくなりました。
本当は、いつも素直にいろんなメッセージを受け止めなきゃいけないんですが、少しひねくれたところもある私なので、時々はひねくれて受け止めます。
でも、日曜の朝は素直でした。
そして、きっとそれは真実だし、イエスさまもやがては連行されて、はりつけにさせられるし、弟子には裏切られるし、人生は単純ではありませんでした。
でも、人生を謳歌したい時もある。そういう時には思い切り謳歌するべきなんだけど、残念ながら、その人生の一つのピークの時にも砂時計は確実に落ちているんだ、というのをかみしめたくなりました。
同じところを低回している気がします。
イエスさまは、本当に優しいのです。私はキリスト教にはほとんど触れる機会もなかったけれど、その存在は知っています。そして、おことばが感じられたら、何だかうれしさは感じられたりします。
別に信者じゃなくても、ことばを受け止めるくらいは許されるでしょう。
日曜は、ずっとぎっくりのままでした。月曜の夜は少しましかなと思ったんですが、今朝は立ち上がれませんでした。でも、お仕事には行きました。
明日はどうなるんだろう。明日は明日の風が吹く、ということでしょうか。
わからないけれど、砂時計は今も落ちている、でも、落ち込まないで、やれるだけやっていきたいなと思うんです。
昨日は、腰をもんでもらったのがよくなかったのかなあ。