甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

砂時計の日々、ヴェロネーゼの絵

2021年11月16日 21時41分43秒 | わたしの好きな絵!

 ルーブル美術館にこんな大きな絵があるそうです。「カナの婚礼」というタイトルなんだそうです。日曜の朝、ぎっくり腰になったまま、ゴハンも食べたけど動けなくて、ずっとテレビを見続けていて、その時に知った絵でした。

 ネットには、絵と一緒に自撮りする女の人の姿もあるから、ひょっとしたら写真もOKの絵なのかもしれません。ギリシア風の宮殿の中で、みんなが婚礼のお食事をしている姿のようです。

 タイトルの「カナ」さんって、何かゆかりのある人なんでしょうね。ど真ん中の赤と青の衣装を着けた人がイエスさまなんだそうです。

 確かに、テレビで見せてもらった時も、そこだけ光り輝いているというのか、こんなにたくさんの群像が描かれているのに、イエスさまだけ、違う時間を生きているというのか、独自の空気感を出しているようです。

 どんなエピソードがあったのか、私は詳しくはわかりません。ただ、みなさんが婚礼だというのでお酒を飲んで、おしゃべりして、お料理食べて、今の世の中からすると、とてもうらやましい時間をみんなで過ごしているようです。

 どんなにお酒がおいしくても、若い二人にことばはたくさん降り注ぐだろうけど、かつて人々が世界中でしてきたことでした。(タリバンの人々には、そういう楽しみもないんだろうか?)

 みんなが、昔も今までずっとやって来たことを、たまたま大きな絵に描いて、そのひと時を封じ込めました。

 番組では、ワインがなくなったので、みんなが大騒ぎしそうになった時に、イエスさまが「甕に水を入れなさい」と言われて、その通りにやってみたら、入れた水がワインに変わってたなんて、そういうエピソードもあったと紹介されていました。

 イエスさまも、そんな手品まがいの奇蹟をみんなにこっそり披露したそうですが、いろいろと気を使ってあげる優しい方なんだなと、素直に思いました。これは、何かベースになる話がありそうでした。

 それから、イエスさまの少し前の方のテーブルに砂時計が二つくらい描かれてたようで、こんなに楽しいひと時にも、いつか終わりが来るし、それぞれの残された時間も刻一刻と過ぎていくのだ、という小さな教訓も描かれているそうです。

 いつもだったら、「何だ、つまらない。そんなところに教訓たらしいことを描くなよ」と反発してしまう私ですが、ぎっくり腰で動けないままテレビを見ていた私は、素直に受け入れたくなりました。

 本当は、いつも素直にいろんなメッセージを受け止めなきゃいけないんですが、少しひねくれたところもある私なので、時々はひねくれて受け止めます。

 でも、日曜の朝は素直でした。

 そして、きっとそれは真実だし、イエスさまもやがては連行されて、はりつけにさせられるし、弟子には裏切られるし、人生は単純ではありませんでした。

 でも、人生を謳歌したい時もある。そういう時には思い切り謳歌するべきなんだけど、残念ながら、その人生の一つのピークの時にも砂時計は確実に落ちているんだ、というのをかみしめたくなりました。



 同じところを低回している気がします。

 イエスさまは、本当に優しいのです。私はキリスト教にはほとんど触れる機会もなかったけれど、その存在は知っています。そして、おことばが感じられたら、何だかうれしさは感じられたりします。

 別に信者じゃなくても、ことばを受け止めるくらいは許されるでしょう。

 日曜は、ずっとぎっくりのままでした。月曜の夜は少しましかなと思ったんですが、今朝は立ち上がれませんでした。でも、お仕事には行きました。

 明日はどうなるんだろう。明日は明日の風が吹く、ということでしょうか。

 わからないけれど、砂時計は今も落ちている、でも、落ち込まないで、やれるだけやっていきたいなと思うんです。

 昨日は、腰をもんでもらったのがよくなかったのかなあ。




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