甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

松柏の向こう 中思41

2019年11月17日 07時27分13秒 | 中国の思想家のことば

 下村湖人さん訳の「論語」をずっと読んでいます。もう何か月も抱えているかもしれない。それで、ようやく半分くらいまで読みました。岩波文庫版の「論語」だと、必要なところだけをチョコッと読むだけだし、通して読むことができていませんでした。今ごろになって、やっと通して読もうとしています。

 1974年の1月発行の角川文庫です。それを2年前の2017年に手に入れたのですから、本そのものも回り道をしてきたんですね。たいしたもんだ。1974年に本屋さんに行っても、たぶん私は買わなかったはずだから、考えてみれば不思議な縁です。

 まあ、本のことはいいから、気になったことをメモしておこうと思います。

 「忮(そこなわ)ず求めず 何を用(もっ)てか臧(よ)からざらん。」 子路(しろ)、終身(しゅうしん)これを誦(しょう)す。 

 あのオッチョコチョイのお弟子さんの子路さんが出てきました。はなうたみたいにして歌ってたんでしょうか。それとも、高らかにみんなに聞こえるように朗々と歌ってたのかなあ。

 子路さんのことですから、みんなに聞いてもらいたくて、「私はこんなカッコイイことしてますよ!」と、知ってもらいたいから、華々しく歌ってたんでしょう。とにかく、パワフルな歌声だったんでしょう。

 「害を与えず求めもせねば、どうして良くないことがおころうぞ。」子路は生涯それを口ずさんでいた。〈岩波・金谷治先生訳〉

 子路さんがこれを「詩経」の中から特に選んで歌っていたことになります。私はそんな歌を持っているかなあ。今は歌を忘れていますね。昔は、いろんな歌が頭の中に入り込んで、一日中鳴りっぱなしということもありました。でも、今はすぐに再生できなくなります。再生能力は落ちたと思うな。

 下村湖人さんの訳で見てみましょう。私はビックリしました。ちゃんと物語に仕上げてくれていますよ。

 先師が言われた。
 「やぶれた綿入れを着て、上等の毛皮を着ている者とならんでいても、平気でいられるのは由(子路さんの名前)だろうか。詩経に、
  有るをねたみて
  こころやぶれず
  無きを恥じらい
  こころまどわず、
  よきかなや、
  よきかなや、
とあるが、由の顔を見ると私にはこの詩が思い出される」
 子路は、先師にそう言われたのがよほどうれしかったと見えて、それ以来、たえずこの詩を口ずさんでいた。

 ねっ、少し物語になっているでしょ。先生が子路さんにきっかけを与えた設定になっています。



 子の曰わく、「是(こ)の道や、何ぞ以(もっ)て臧(よ)しとするに足らん。」
 先生は言われた、「そうした方法ではね、どうして良いといえようか。」〈岩波〉

 下村版では、
 先師は言われた。「その程度のことがなんで得意になる値打ちがあろう。」

という風になっています。

 「不忮不求 何用不臧」の八文字を歌っていた子路さんです。最初の四文字が他者に対する願望であり、あとの四文字がそれによってもたらされることです。

 確かに大したことではありません。人に対して何も希望を持たない。淡々と自分のあるべき姿を求めていく、そうしたら、やがては幸運は自然と向こうからやってくるのさー、などというのはあまりに虫が良すぎるように思います。

 私たちは、人や物や自然に対して、あれこれ求めてしまいがちで、こうしてくれたらいいのにな、などというのは常に思っている。

 そうした欲求を捨てることは立派です。子路さんとは反対です。子路さんは、他人には求めないかもしれないけど、いつも自分に注目してもらいたい人だったのですから。歌っていることと本人とが矛盾してたかもしれない。



 子罕第九の29節(今の話の次の話)にはこんなのがあります。

 子の曰わく、「歳(とし)寒くして、然(しか)る後に松柏(しょうはく)の彫(しぼ)むに後(おく)ることを知る。」

 先生が言われた。「気候が寒くなってから、はじめて松や柏(ひのき)が散らないで残ることが分かる。[人も危難の時にはじめて真価が分かる]」〈岩波版〉

 下村版では、
 先師が言われた。
 「寒さに向かうと、松柏の常盤木(ときわぎ)であることがよくわかる。ふだんはどの木も一様に青い色をしているが」

 わりと淡白な訳ですね。「柏」が「かしわ」ではなくて、「かや」だという注がついているだけです。

 普段はみんなに埋もれてもかまわない、でも、厳しい時にこそ、自らの真価を出してみろというお言葉なのだという気がします。

 みんなでワイワイやるのもいい、でも、いざという時に、そういうことは役に立たない。みんなと一緒にいる時に、じっと静かにこれからのあるべき姿をイメージしているものこそ、大事なのだという先生の教えなのかな。

 子路さんはあまりに自己主張が多すぎです。でも、そこが子路さんの愛らしさであり、憎めないところです。みんなに愛される、人の好さを振りまいている。でも、やがてムチャしすぎて亡くなってしまいます。

 それは人の持っているものなのかもしれない。

 子路さんは、ある意味松柏だったのかもしれません。普段からオレがオレがをやっていて、そのままの形で突っ走ってしまった。

 先生は、そういう未来が見えていたのかもしれない。

 地味で、目立たなくても、真価を発揮する人もいる。私はそちらの松柏をめざしたいのだけれど、さて、何によって真価を発揮できるのやら……。


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