私の構想では、芭蕉さんの旅した季節に合わせて東北を旅しようと思ったのです。本当なら、今は平泉にいるはずでした。五月雨の……という句とリンクするはずだったのに、まだ栃木県にいます。
来月末、私は実際に岩手にいるでしょうか。まあ、そのころブログでは平泉でいいやと思います。そして、今年こそは庄内地方に何十年ぶりかで行けるかな。二年前、ひとりで山形市に泊まったんでしたかね、たぶん。
友だちは、酒田にいるから、そちらに遊びに行けるといいのだけれど、それこそ、旅なんだけどな。
そう、うっかりしている間に、三重県ではネムの花も咲き始めました。東北はもうすこし先になると思われますが、それくらい季節は進んでいます。
ふたたび、象潟に行けたりするのかな。わからないけど、とりあえず、今は芭蕉さんのあとをついて行くことにします。
でも、「おくのほそ道」の厳しさは、埼玉・栃木あたりの無縁の土地を歩くあたりです。これで挫折してしまいます。そんなのどっちだっていいや。別に興味ないし、たぶん、行かないし、と言い訳して本を放り出してしまうのです。
まあ、そんなこと言わないで、オッサンなんだから、チビチビと旅すればいいのです。作品は逃げないで、そこにそびえています。私の力でそこにたどりつきたい。
雲厳寺には四月の五日に行かれたそうです。現在のカレンダーでいくと、五月の二十二日に当たるそうです。私はもう芭蕉さんから一ヶ月以上遅れています。ゆっくり後からついて行くしかありません。アジサイはまだまだだったでしょうね。
当国(とうごく)雲岸寺(うんがんじ)のおくに佛頂和尚(ぶっちょうおしょう)山居(さんきょ)の跡(あと)あり。
「竪横(たてよこ)の五」尺にたらぬ草の庵(いお)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して岩に書付(かきつけ)侍(はべ)り」と、いつぞや聞え給ふ。
「竪横(たてよこ)の五」尺にたらぬ草の庵(いお)
むすぶもくやし雨なかりせば
と松の炭して岩に書付(かきつけ)侍(はべ)り」と、いつぞや聞え給ふ。
深川で少しだけ交流があったお坊さんの佛頂(ぶっちょう)さんが山住まいをされていた跡があるということでした。
どんなところに庵を結ばれていたのか、そこでどんなことが考えられたのか、雰囲気を味わいたかったのです。仏頂さんとお知り合いになったのは何年か前のことで、お仕事の関係で江戸に出てられていた時でした。
仏頂さんのお寺は鹿島(茨城県)にあったそうなんですが、時々は修行のためにこちらにお籠りになったということでした。(雲巌寺は修行道場として今も存在しています。観光のお寺ではないのです。)
縦も横も十メートルにたらない小さな庵で、雨がなかったらそんなのは必要なかったのに、雨があるから仕方なく建てた小屋です、というのを書きつけておられたということでした。
今は鹿島にもどっておられますが、かつて仏頂さんがいたという庵を見せてもらおうと、こちらを訪ねてみました。
その跡みんと雲岸寺に杖を曳(ひ)けば、人〃(ひとびと)すゝんで共にいざなひ、若き人おほく道のほど打さはぎて、おぼえず彼(か)梺(ふもと)に到(いた)る。
私は庵を見せていただこうというそれだけのつもりでしたが、こちらの方々はものすごく歓待してくれて、私と一緒に雲巌寺へ行こうということになりました。
みなさんノリのいい方ばかりで、一行の中の若い人たちはとてもにぎやかにしてくれて、あっという間にお寺のたもとまでたどり着いてしまいます。
山はおくあるけしきにて谷道遥(はる)かに、松・杉黒く、苔したゞりて、卯月(うづき)の天今猶(いまなお)寒し。十景(じっけい)尽くる所、橋をわたつて山門に入る。
お寺は奥深くまで続いています。とても森閑として、谷沿いの道が続いています。
松も杉も黒々としている。苔はしっとり水けをたたえている感じです。四月の空は夏だというのにとても寒いのです。こちらの十の名所を見尽くしたら、お寺につながる橋を渡って山門に入ることができます。
さて、かの跡はいづくのほどにやと、後(うしろ)の山によぢのぼれば、石上(せきしょう)の小庵(しょうあん)岩窟(がんくつ)にむすびかけたり。妙禅師(みょうぜんじ)の死関(しかん)、法雲法師(ほううんほうし)の石室(せきしつ)をみるがごとし。
私は、仏頂さんの庵を訪ねたくてこちらにやって来ました。お寺の裏手の岩山をよじ登ったのです。ただ一心にそちらをめざしました。
石の上に小さな庵があって、後ろの岩壁にくっつくように立てられていました。小さな庵で、ほんの少しだけ仏頂さんをしのぶことができました。ここで座禅修行をされていた。その心持ちというのは、私には推し量れないけれど、仏頂さんの心を磨いてくださったところなのだと思われました。
中国の南宋・臨済宗の高僧の原妙禅師さんが「死関」という扁額のもとで十五年間こもられて、たくさんの学徒に教えを授けられたことがあったり、これも中国のお坊さんで法雲法師さんも岩窟に籠りつつ、若者を教えられたりしたことがあったそうですが、それらの話に通ずるような庵のあとでした。
木啄(きつつき)も庵(いお)はやぶらず夏木立(なつこだち)
と、とりあへぬ一句を柱に残し侍りし。
と、とりあへぬ一句を柱に残し侍りし。
木をつつくキツツキだって、仏頂さんがおられる庵の木はつつくことを遠慮をするものだろう。
あまりいい句とは思えないのですが、仏頂さんへのご挨拶の句として作りました。とても有難い気分ではあったのです。
山深いところに、雲巌寺はあるそうです。仏頂さんの庵は、現在は見学できないそうですが、やがてふたたび仏頂さんはこちらに来られて、1715年に七十三歳でこちらで亡くなられるそうです。
芭蕉さんは、1694年に五十歳で亡くなるので、同年代の二人です。江戸でご近所だったので、交流が始まり、時々は座禅などもさせてもらったようです。わりと信頼していた方なんでしょう。
友だちの若い頃に苦労した聖地を訪ねる、みたいな気分だったのかもしれません。