八月十二日、鳥取の皆生温泉近くのブックオフで買った本、「坂本九ものがたり 六・八・九の九」(1986中央公論で単行本、2017ちくま文庫)を今も読み続けています。
たしか、単行本を買って読んだはずですが、もう処分してしまって、手元にありませんでした。それであらためて文庫本で買い直したようなところでした。
内容は、読んだはずだから、知ってるはずなんだけど、こんな手紙形式でいちいち呼びかけながら、時間を少しずつ1985年までたどり着かせようというスタイルだったのだと、この形はよくあるものだけれど、考えてみれば、本そのものが、仲間だった永六輔さんからの長い弔辞みたいなスタイルを借りて、「今も坂本九の魂は生き続けているのだ」という、そんな内容で書かれているようでした。
私にだって、こころのどこかに「上を向いて歩こう」とか、歌が聞こえてくるような気がしています。
九ちゃんは、本当なら八十歳になっておられるはずでした。そして、エンターティナーか、それとも参院議員をしておられるか、徹子の部屋を受け継ぐか、そういう芸能界の大御所としての仕事をしてもらえたはずです。
でも、残念ながら亡くなられてから37年の歳月が過ぎて行きました。考えてみれば、その頃に結婚した私は、九ちゃんのいない世の中を、自分の道を探して生きてきたわけです。どんな道が見つかったのやら……、とりあえず、ブログして遊ぶ楽しさは見つけられましたけど、他には何かあるかなあ。
まあ、私はこれからも、もの欲しそうに探していくんでしょう。ずっと「探してるんだよ」と言い続けていくのかな。何も見つからないかもしれないのが私の人生で、時々、ムチャクチャ楽しいことがあればいいのかも……。
1985年のあの日、九ちゃんは自民党の応援演説を頼まれて、大阪に向かったということでした。新幹線じゃなくて、飛行機にしたそうです。時間に追われてたんですね。そして、二十歳のころから自民党支持というのは打ち出してたそうです。そういう教育を受けて来られたので、素直にそれを表明していたみたいです。お母さんのご指導のたまものだったんでしょうか。
永さんは、今さらながら、どうしてそんな選挙の応援に行かなきゃならなかったのか、と悔やんでおられるんですが、それは仕方がなかったのでしょう。そういう風に生きてきたのだし、それが九ちゃんの選んだ運命だった。
今年亡くなられたAさんも、ずっと自分たちの勢力を拡大させ、自分たちの主張を通し、自分たちの思う国家をつくろうとして、勢力拡大をひたすら願った。若いから引退もせず、集団の中で大きな力を形成していた人でした。予定はコロコロ変わり、臨機応変に応援演説をこなしているところでした。
あのAさんも、偶然ではなく、計画的に暗殺されたわけだけれど、何となくそれもあの人が引き寄せた運命であったのではないか、という気すらします。達者にやっていたけれど、人に恨まれることもそれなりにあったのかもしれません。そりゃ、たくさんの権力をふるった人だから、その陰で泣いてる人たちもいたのかもしれない。
だったら、九ちゃんは?
あの当時、歌の仕事よりも、司会業とか、頼まれ仕事とか、知名度を借りてにぎやかしに来てもらうとか、そういう永さんから見たら、九ちゃんらしさを失うような、もっと違う世界で働けただろう、そういう思いがあったのに、突然の事故死がやってきて、大きなもどかしさを感じたまま、坂本九のいない世界を生きる自分になってた、そういう気分が書かれています。
坂本九さんは、その存在が「古き良き時代」を受け継ぐ人だったような気がしています。
永さんは、あまり評価されてないけど、エノケンさんを尊敬し、その時代を受け継ぎ、伝えようとした。そういうドラマにも出演した。
そのドラマを小さい時にみた私は、九ちゃんを好きになり、エノケンさんたちの世界も好きになれたんでした。
何だか気持ちがまとまっていないみたいで、改めて書こうと思います。もっと本のことなのか、九ちゃんの人生のことなのか、自分の思い出なのか、そういうのを書き分けてみたいと思います。何だかまとまらなくてゴチャゴチャしてますもんね。
昨夜、またPCは不調でした。それで、もう待機するのがアホらしくて、すぐにふて寝しました。それで今朝は5時半起きでしたか。奥さんはひとりで散歩に出かけました。私は、PCにふれたくて、彼女について行かなかった。何という生き方なんだろう。