★ 京都文化博物館のナツ空です!
鹿児島市生まれの黒田清輝さん(1866~1924)は、最初は法律の勉強をしにフランスに渡ったそうです。そして、将来は薩摩藩の人脈で官僚から政治家になる夢を抱いていました(最終的には貴族院議員なので、遠回りしたようでも、結局目標は達成したんですね!)。
それが、どうしたことか、絵に転向してしまう。考えてみれば、素敵なことで、よくぞエリートコースからはずれてくれたなあと思います。そして、たくさんの作品を残しました。しかし、58歳で亡くなっているので、長生きすれば、もっといろいろな作品が描けたはずだし、老成してすごみを出すことができたかもしれないのですが、運命だから仕方がないです。青木繁といい、黒田清輝といい、何だか長生きできていません。もっと坂本繁二郎さん、横山大観さん、梅原龍三郎さんたちのように長生きできてたらと思うと、残念です。
晩年は大きな作品を描かなかったということですし、仕事の関係やら、体力的なこととか、あれこれあったのかもしれません。やはり、画家というのは、1つ1つの作品に命をかけて描いていたのですね。フランスで画家修業をしている時にも、何にも成果なしでは帰国できなかったそうです。悲壮な覚悟でフランスで精魂込めて描き上げた作品は展覧会で入選して、やっと「卒業試験」に合格したような気持ちになり、めでたく帰国して、日本的な題材を油彩で描き始めるのでした。下絵・スケッチなどたくさん描いて、画壇の地位も上がり、あれこれと描いています。
ただ、風景画なのか、人物画なのか、どこをベースにして描くのかとか、それが見つからなかったような印象があります。本来であれば、もっとたくさんの女性を描き、当時の日本の女性たちの様々な場面を切り取ってくれたら、女性を描いたら彼が随一ということになったのでしょうが、肖像画・風景画・裸婦像など、何か突き抜けていない感じがしました。
画家は1つの作品を作るにしても、各パートの下描き・下絵などたくさん作成し、綿密に構図を練って、どのような場面を描くのか、あれこれと考え、それはもうものすごい集中力で取り組んでいます。展覧会では、清盛が人々を前に何か語っている絵の、たくさんの準備作品が展示されていて、ここにたどりつくまでにどれだけ黒田清輝さんが全勢力を傾けたかがわかるようになっていました。その頑張りが成功したのかどうだったのか、それが不明ですが、とにかく短期間で一気に描き上げる画家ではなかったのは確かでした。築き上げた地位を守るためにも、常に周囲を納得させる何かが必要で、そのためには練りに練ったものしか作品として出せなかったのでしょう。
……私は、この切手は買い損なって、切手屋さんで指をくわえて見ているだけでした。カタログでしか見ることができませんでした。小学四年生ころのあこがれの作品だったのですね。
代表作の「湖畔」は31歳の時のもの。後に妻になった人がモデルの作品。湖は芦ノ湖で、描かれた場所も特定されているそうです。小さい頃、切手でみたまんまの絵で、ああ、これがその現物なんだという印象で、そこから先に進みませんでした。
……等身大の女性が3人!
もう1つの「智感情」は33歳の時の作品で、何となくすごいとは思っていましたが、1つ1つに見る人の気持ちが投影されるのか、私は「智」さんがかわいくていいかなと思いました。「感」さんはとりつくしまがない感じで、「情」さんは、なにもそこまでしなくてもという感じで、できたら「智」さんに会いたいなとか思ったりしました。何を考えているんでしょうね。
……右端の子です!
会場の京都文化博物館には、初めて行きました。京都は街中に古い建物がいっぱい残っていて、しかもそれらをおしゃれな建物に再利用して、ものすごく暑い1日ではありましたが、快適に鑑賞することができました。でも、その後で、祇園祭の後祭(あとまつり)というのがあって、山車が街中にデンと置いてあったので、そちらをめぐる時に汗だくになってしまい、日焼けもしましたっけ……。今日は、おしゃれに美術館とか回って、買い物して帰ろうくらいに思っていたのに、お祭りをやっているのが予想外で、短時間で疲れて帰ってきました。
……中では銀行の内側を会場にして無料コンサートが開かれていました。
……博物館の休憩スペースには、信長さんがお城を造るときに石仏を石垣にしてたたきこんだものが近年発掘されたそうで、何体も展示されていました。長い眠りからさめた石の仏さまです!
★ それでは、突然に二句!
1 さるすべり 山車を経巡る 後祭(あとまつり)
2 さるすべり テラスを埋める 外国人
★ 今年(2015年夏)は少し早かったので、山車はまだ組み上がっていませんでした。ザンネンでした。それで、母と一緒に行きましたが、母は「今日はカンカン照りじゃなくていいね」と、すれ違う人に話しかけていました。困ったなあと思いつつ、母のやりたいようにさせてあげていました。
帰って来て妻に話したら、妻は「お母さんは、楽しかったから、そんなふうにテンションが上がっていたんだよ」と言います。
そうだったのかもしれないけれど、何となく怖くなってしまいました。
「どうして、こう母は私とどこかへ行きたがるんだろう」と思ってしまいます。
私は、父のかわりはできないんですけど、母はどういうつもりなのかなあ。自分1人であちらこちら行ってくれたらいいんですけど、ちょっと冷たい息子かな……。いや、それがフツーな気がします。母があまりに強引な気がします。イヤになってしまう。
鹿児島市生まれの黒田清輝さん(1866~1924)は、最初は法律の勉強をしにフランスに渡ったそうです。そして、将来は薩摩藩の人脈で官僚から政治家になる夢を抱いていました(最終的には貴族院議員なので、遠回りしたようでも、結局目標は達成したんですね!)。
それが、どうしたことか、絵に転向してしまう。考えてみれば、素敵なことで、よくぞエリートコースからはずれてくれたなあと思います。そして、たくさんの作品を残しました。しかし、58歳で亡くなっているので、長生きすれば、もっといろいろな作品が描けたはずだし、老成してすごみを出すことができたかもしれないのですが、運命だから仕方がないです。青木繁といい、黒田清輝といい、何だか長生きできていません。もっと坂本繁二郎さん、横山大観さん、梅原龍三郎さんたちのように長生きできてたらと思うと、残念です。
晩年は大きな作品を描かなかったということですし、仕事の関係やら、体力的なこととか、あれこれあったのかもしれません。やはり、画家というのは、1つ1つの作品に命をかけて描いていたのですね。フランスで画家修業をしている時にも、何にも成果なしでは帰国できなかったそうです。悲壮な覚悟でフランスで精魂込めて描き上げた作品は展覧会で入選して、やっと「卒業試験」に合格したような気持ちになり、めでたく帰国して、日本的な題材を油彩で描き始めるのでした。下絵・スケッチなどたくさん描いて、画壇の地位も上がり、あれこれと描いています。
ただ、風景画なのか、人物画なのか、どこをベースにして描くのかとか、それが見つからなかったような印象があります。本来であれば、もっとたくさんの女性を描き、当時の日本の女性たちの様々な場面を切り取ってくれたら、女性を描いたら彼が随一ということになったのでしょうが、肖像画・風景画・裸婦像など、何か突き抜けていない感じがしました。
画家は1つの作品を作るにしても、各パートの下描き・下絵などたくさん作成し、綿密に構図を練って、どのような場面を描くのか、あれこれと考え、それはもうものすごい集中力で取り組んでいます。展覧会では、清盛が人々を前に何か語っている絵の、たくさんの準備作品が展示されていて、ここにたどりつくまでにどれだけ黒田清輝さんが全勢力を傾けたかがわかるようになっていました。その頑張りが成功したのかどうだったのか、それが不明ですが、とにかく短期間で一気に描き上げる画家ではなかったのは確かでした。築き上げた地位を守るためにも、常に周囲を納得させる何かが必要で、そのためには練りに練ったものしか作品として出せなかったのでしょう。
……私は、この切手は買い損なって、切手屋さんで指をくわえて見ているだけでした。カタログでしか見ることができませんでした。小学四年生ころのあこがれの作品だったのですね。
代表作の「湖畔」は31歳の時のもの。後に妻になった人がモデルの作品。湖は芦ノ湖で、描かれた場所も特定されているそうです。小さい頃、切手でみたまんまの絵で、ああ、これがその現物なんだという印象で、そこから先に進みませんでした。
……等身大の女性が3人!
もう1つの「智感情」は33歳の時の作品で、何となくすごいとは思っていましたが、1つ1つに見る人の気持ちが投影されるのか、私は「智」さんがかわいくていいかなと思いました。「感」さんはとりつくしまがない感じで、「情」さんは、なにもそこまでしなくてもという感じで、できたら「智」さんに会いたいなとか思ったりしました。何を考えているんでしょうね。
……右端の子です!
会場の京都文化博物館には、初めて行きました。京都は街中に古い建物がいっぱい残っていて、しかもそれらをおしゃれな建物に再利用して、ものすごく暑い1日ではありましたが、快適に鑑賞することができました。でも、その後で、祇園祭の後祭(あとまつり)というのがあって、山車が街中にデンと置いてあったので、そちらをめぐる時に汗だくになってしまい、日焼けもしましたっけ……。今日は、おしゃれに美術館とか回って、買い物して帰ろうくらいに思っていたのに、お祭りをやっているのが予想外で、短時間で疲れて帰ってきました。
……中では銀行の内側を会場にして無料コンサートが開かれていました。
……博物館の休憩スペースには、信長さんがお城を造るときに石仏を石垣にしてたたきこんだものが近年発掘されたそうで、何体も展示されていました。長い眠りからさめた石の仏さまです!
★ それでは、突然に二句!
1 さるすべり 山車を経巡る 後祭(あとまつり)
2 さるすべり テラスを埋める 外国人
★ 今年(2015年夏)は少し早かったので、山車はまだ組み上がっていませんでした。ザンネンでした。それで、母と一緒に行きましたが、母は「今日はカンカン照りじゃなくていいね」と、すれ違う人に話しかけていました。困ったなあと思いつつ、母のやりたいようにさせてあげていました。
帰って来て妻に話したら、妻は「お母さんは、楽しかったから、そんなふうにテンションが上がっていたんだよ」と言います。
そうだったのかもしれないけれど、何となく怖くなってしまいました。
「どうして、こう母は私とどこかへ行きたがるんだろう」と思ってしまいます。
私は、父のかわりはできないんですけど、母はどういうつもりなのかなあ。自分1人であちらこちら行ってくれたらいいんですけど、ちょっと冷たい息子かな……。いや、それがフツーな気がします。母があまりに強引な気がします。イヤになってしまう。