もう長らく故郷に落ち着いていません。そもそも、私の故郷はどこなのか、それさえわからなくなりました。
生まれたところのカゴシマは、当時の記憶は全くないし、何年かごとに父母に連れられて行ったところです。その度に故郷なんだろうとはすり込まれましたけど、父母を通しての故郷ではあるので、借り物の故郷ではありました。
今も、どういうわけか本籍地になっていて、何か戸籍××本が必要というときに面倒になります。もう、生まれたところにこだわる必要はないのかもしれない。
弟は、本籍地を大阪に変えてしまいました。その方が便利だし、すごく自然です。なのに私は、心のどこかで生まれたところにつながっていたい気持ちもあって、とりあえず生まれたところにしてしまいました。
それは私のわがままでした。妻やうちの子にとってはただ面倒なだけで、父親(夫)のわがままに振りまわされている感じでしょう。何だか申し訳ない。
大阪には、18歳までと22歳から数年とかなり長く住んでいたという感じです。まあ、私の故郷のひとつではあるんです。
でも、それは日々崩壊していて、私がどれほどの思い入れをもって振り返っても、大阪は日々変化していくし、知らないところもいっぱいだし、知らない人はさらにたくさんたくさんいるでしょう。
そして、大阪は、今まで住んでいた人たちが少しずつしぼんでいるし、高齢化しています。その代わりに、よそからの移入者・移住者は増え続けている。
若い人たちとか、都会の真ん中でおしゃれに暮らしたい人たちなんかは、都心部にどんどん向かっている。東京ほど高層化して、水上化はしてないけれど、かなり水辺の高層マンションは注目されているんだろうな。
だったら、うちの実家の方にも地下鉄を走らせて、川のそばに高層高級マンション群を作り上げてくれたらいいのに、そこまでの需要とやる気はないみたいでした。だから、うちの実家はいつもながらの場末感が漂っています。
そして、私は三重県に人生の半分以上住んでしまった。これも私の故郷なんだろうな。
私は、もっといろんな人といろいろつながりが生まれるのかなと思っていました。でも、私って、あまり自分からあれこれオシャベリしないし、何だか何を考えているのかわからない、とらえどころのないヤツとしてずっと過ごしてきてしまいました。
深いつながりって、今から作ろうと思っても無理かもしれない。
私だって、それなりに過ごしてきたんだろうけど、どうしたらつながりみたいなものを作ることができたんだろう。付き合い下手だったからか、ただのグータラだったから?
私の人とのつながりは、あるのかもしれないし、ないのかもしれない。
でも、悲観せずに、私なりのやり方で、いろんな故郷の人々と、今まで以上につながっていこうと思います。
思ったままで、実質は今までと同じかもしれない。けれども、ボチボチ、やるしかないのです。
人との関係において、「友だちになろう」なんて前面に押し出してもダメです。
それはわかっています。私だって、そういう人は避けてしまうと思います。だったら、何かをみんなとやれたら、そこでみんなと「おもしろいね」とか、「つまんないね」とか、「ここはこうじゃないかな」とか、言い合いたいんだけどな。
そうしたら、自然と仲間になれるんじゃないかな。そういうのが仲間なんじゃないだろうか。だから、それはすぐにほぐれてしまうかもしれないけど(何かのイベントが終わったら、人々は分散するのは当たり前です)、また何かチャンスがあれば、集まったらいいんだもんな。それくらいの脱力感で明日からやってこうと思います。
漠然としたことを書きました。失礼しました。