何度も見てますけど、HDに録画しました。でも、オンエア中に見たから、消さなくちゃいけません。たぶん、VHSも、DVDもいくつもうちにはあると思う。どこかにあるはずですけど、わざわざ見ないだけで、実際のオンエア中だから、見る気になったようです。きっかけは外からやってきます。自分からは、わざわざ黒澤明を見ようなんていう気になりません。
とにかく、久しぶりに見ました。証言者のみんなが、自分の罪だと言い、千秋実さん(お坊さん)は何も信じられないと口にするし、上田吉二郎さんは、「人間なんてそんなものよ、生きていくためにはしたたかにやっていくしかないのさ。ここにいるお前たちだって、やましいことしているだろう」と問い詰めるし、やましいところのあった志村喬さん(木こり)は、自らの盗みも白状しなくてはならなくなります。
みんなが心の中を叩いてみたら、いろんな罪やら、罪悪感やら、やましい気持ち、自らの醜さに向き合わねばならなくなります。そこはテーマの一つではありますが、それがテーマだったら、「人間って、わかんないよね」という感想で終わってしまいます。そんなことをわざわざ伝えるために映画を作ったのではないと思う。
普段は自らの罪などを取り上げ、反省し、人に素直に言うなんてことはしないから、とりあえず、毎日は目先のことばかりを追いかけてやっている。
さてと、ふと立ち止まって、自分は何をしているの、と見ていたら、たくさん悪いことをし(たくらみ)、人を裏切り、ウソをつき、ミスをごまかししていたことに愕然とする、それが人の常です。それから、気づいても他人に言わないというのもいつものことです。じっと我慢しなくてはならない。知らんぷりして!
反省は一瞬で、すぐにまた「目先モード」になって、自らの罪は忘れて突っ走る、そういうこと、いっぱいあるんでしょうね。
90分の映画の前半は、それこそいろんな人たちの証言を重ね合わせていかなくてはならないので、その度にボレロみたいな音楽になります。「七人の侍」(1954)でお馴染みの早坂文雄さんの音楽。夏の山の中で、一人の男が妻を奪われ、いかに死んでいったかが語られていきます。
木こりの志村喬さんが、最初の目撃者で、男が死んでいたと報告します。そして、盗賊(三船敏郎さん)を捕まえた加東大介さんの証言、男を殺したと証言する盗賊。次には逃げていたはずの女(京マチ子さん)も、死にきれなくて、私が夫を殺したのですと証言します。
ここら辺は序の口で、死んだ男の魂を呼び戻してしゃべらせたり、木こりが隠していた事実を話したり、すべての証言が食い違い、だれが犯人なのか結局分からないまま終わるという物語でした。
(これ、本物の写真なんだろうかと思いますが、たぶん、ホンモノかな。京マチ子さんもお茶目だし、三船さんも遊んでいる! 監督はのんきに座ってるし、こんな写真があったんですね)
たぶん、今の若い人なら、「つまらないなあ。結局、犯人は誰なんだよ」というところでイライラするでしょうね。
私なんかは、そういうものなのだというのを何度も味わってきたし、それを求めてはいけないし、モヤモヤを抱えてしばらくは「羅生門」という作品を味わわねばならないし、途中の役者さんたちの切り替えがおもしろいなあと見てたりするんだけど、たぶん、ダメですね。
ああ、こうして古典的で、しかも名作の日本映画が埋もれて行きますし、若い人から見向きもされなくなるでしょう。
今日、放送されてたのは、デジタル完全版だったというから、画面そのものはきれいでした。撮影の宮川一夫さんも冴えてるし、照明も素晴らしかった。でも、色がついてないし、音声も聞き取りにくいし、そこは改善されてませんでした。
文化は、立ち切れてしまいますね。残念です。小学校高学年くらいの子らに、授業として見させて、レポート書いたり、絵を描かせたり、気になった場面を言わせたり、面白い証言を見つけたり、役者さんのセリフを書かせたり、そうして強制的に学ばせるしかないのかな。強制で心は死んでしまうけど、強制されてるうちに、若い人の心に火が付かないかなあ。それを期待したくなりました。