山梨県立美術館がミレーの「種をまく人」を買ったのは三十年以上も前の話です。当時としては地方自治体がこんな絵画を、何億もの税金で買うなんて、少し無駄づかいじゃないの? 知事さんの酔狂? などという不平・不満はなかったのでしようか。今ならすぐに文句が出るところですが、特に何も問題は起こらず、スイスイと購入していたような気がします。
今となってはなかなか目の付け所がよかったと思います。先見の明があったといえるでしょう。ミレーの「種をまく人」が見たければ、ボストンに行くか、山梨に行くか、2つの方法しかないのですから、山梨県に行く理由の1つにはなり得ています。それくらいあとを引く(くせになる? 何度も見てみたい? 人生で一度は見てみたい!)作品なのです。ミレー関連のコレクションは、山梨県の宝物になったと思います。
当時は国民の大事な税金は細心の注意をはらって使う感覚、そういうのはなかったような気がします。割とトップの思いのままにホイホイと好きなものが買えたかもしれません。内部では議論があったのでしょうか? それなりに議論があったのかどうか……。今は、国民の目が厳しくなっているので、無駄づかいを省く人の方が受けています。大阪市の橋下さんみたいに、ものすごく文化・芸術関連にはケチな人もどうかとは思いますけど……。
とにかく、山梨県がお買い上げ後、しばらくして見に行ったことがあります。見に行く前から、それほどミレーに関するあこがれはなくて、ただ有名だから見に行ってみようくらいの野次馬根性で見に行きました。私も若かったし、当時つきあい始めた彼女との交際1ヶ月記念のデートで行きましたので、ミレーどころではなかったのです。私も若かった! どちらかというと、デートの方が大事であり、ミレーはどうでもよかったのです。本当に今考えると、申し訳ないです。ちゃんと見たらよかった。
それで、本物を見たら、感動したのかというと、それなりの感動で、「なかなか大きな絵だな」とか、「この微妙な絵の具の奥に何かあるなあ」とか、どうでもいいような感想しか持てませんでした。とにかく実際に自分の目で見たというのが大事だったのだと思います。
先日の黒田清輝さんの「湖畔」も、何だか既視感があって、実物を見ての感想は、「ああ、これが本物か」という情けないもので、いつまでたっても実物から強いインスパイアを得るということがないのかもしれません。(そんな私が絵を見てもムダ? ……かもしれません)
これは、私だけでしょうか。他の人は、実物の絵を見て、ものすごく感動して、人生が変わるくらいの衝撃を受けることってあるのでしょうか? ……そういう人もいるかもしれませんが、ものすごく少数派で、大半の人は、「ああ、これがあの有名な作品なのか」程度の印象ではないのかなぁ。ただ、それがしばらくして、本人の中でどう変わるかは、人によって様々で、農民たちの姿が気になって、ブリューゲルや、ゴッホや、コローとか、西洋の農村を描いた作品を何度も見て、その経験を重ねて、画家たちの思いをくみとり、当時の農民の息吹きを感じたりして、個人の中で経験値を高めるきっかけになればいいのかもしれません。そうしたら、最初に見たときのミレーと、経験値を上げてから見るミレーは違うかもしれない。それが、ちゃんと年を重ねるということなのかもしれないです。
だから、昨年の夏、三十年ぶりに山梨県立美術館に行こうかと思ったのです。でも、計画は挫折してしまったので、今年再チャレンジするかもしれないのです(どうなるんでしょうね)。
ああ、自分の中で「ふたたびミレーを見てみたら?」という声が聞こえるような気がします。これは気のせいなのか、ただ旅をしたいための言い訳なのか。いつか機会があれば見に行きたい作品です。
岩波書店のマークとなり、ゴッホが自分流にアレンジして描いたり、みんなが何かと気になる作品ではあります。実物は、すぐには語りかけてくれないかもしれない。でも、時と場合によれば、ものすごい霊感をもらえるかもしれない。何だかミレーさんの絵にお参りする感覚ですね。それくらいありがたい絵なのだと思います。ぜひ、見に行きたいので、いつかレポートします!
今となってはなかなか目の付け所がよかったと思います。先見の明があったといえるでしょう。ミレーの「種をまく人」が見たければ、ボストンに行くか、山梨に行くか、2つの方法しかないのですから、山梨県に行く理由の1つにはなり得ています。それくらいあとを引く(くせになる? 何度も見てみたい? 人生で一度は見てみたい!)作品なのです。ミレー関連のコレクションは、山梨県の宝物になったと思います。
当時は国民の大事な税金は細心の注意をはらって使う感覚、そういうのはなかったような気がします。割とトップの思いのままにホイホイと好きなものが買えたかもしれません。内部では議論があったのでしょうか? それなりに議論があったのかどうか……。今は、国民の目が厳しくなっているので、無駄づかいを省く人の方が受けています。大阪市の橋下さんみたいに、ものすごく文化・芸術関連にはケチな人もどうかとは思いますけど……。
とにかく、山梨県がお買い上げ後、しばらくして見に行ったことがあります。見に行く前から、それほどミレーに関するあこがれはなくて、ただ有名だから見に行ってみようくらいの野次馬根性で見に行きました。私も若かったし、当時つきあい始めた彼女との交際1ヶ月記念のデートで行きましたので、ミレーどころではなかったのです。私も若かった! どちらかというと、デートの方が大事であり、ミレーはどうでもよかったのです。本当に今考えると、申し訳ないです。ちゃんと見たらよかった。
それで、本物を見たら、感動したのかというと、それなりの感動で、「なかなか大きな絵だな」とか、「この微妙な絵の具の奥に何かあるなあ」とか、どうでもいいような感想しか持てませんでした。とにかく実際に自分の目で見たというのが大事だったのだと思います。
先日の黒田清輝さんの「湖畔」も、何だか既視感があって、実物を見ての感想は、「ああ、これが本物か」という情けないもので、いつまでたっても実物から強いインスパイアを得るということがないのかもしれません。(そんな私が絵を見てもムダ? ……かもしれません)
これは、私だけでしょうか。他の人は、実物の絵を見て、ものすごく感動して、人生が変わるくらいの衝撃を受けることってあるのでしょうか? ……そういう人もいるかもしれませんが、ものすごく少数派で、大半の人は、「ああ、これがあの有名な作品なのか」程度の印象ではないのかなぁ。ただ、それがしばらくして、本人の中でどう変わるかは、人によって様々で、農民たちの姿が気になって、ブリューゲルや、ゴッホや、コローとか、西洋の農村を描いた作品を何度も見て、その経験を重ねて、画家たちの思いをくみとり、当時の農民の息吹きを感じたりして、個人の中で経験値を高めるきっかけになればいいのかもしれません。そうしたら、最初に見たときのミレーと、経験値を上げてから見るミレーは違うかもしれない。それが、ちゃんと年を重ねるということなのかもしれないです。
だから、昨年の夏、三十年ぶりに山梨県立美術館に行こうかと思ったのです。でも、計画は挫折してしまったので、今年再チャレンジするかもしれないのです(どうなるんでしょうね)。
ああ、自分の中で「ふたたびミレーを見てみたら?」という声が聞こえるような気がします。これは気のせいなのか、ただ旅をしたいための言い訳なのか。いつか機会があれば見に行きたい作品です。
岩波書店のマークとなり、ゴッホが自分流にアレンジして描いたり、みんなが何かと気になる作品ではあります。実物は、すぐには語りかけてくれないかもしれない。でも、時と場合によれば、ものすごい霊感をもらえるかもしれない。何だかミレーさんの絵にお参りする感覚ですね。それくらいありがたい絵なのだと思います。ぜひ、見に行きたいので、いつかレポートします!