今日は、昨日ほどの人恋しい気分はありません。夕方、少し早かったので、ウチの奥さんと近所のお散歩に出かけたからかもしれません。まん丸のお月さんが出でくるのも彼女と一緒に見ましたよ。
よくはわからないくせに火星を探して、「あれが火星だ!」と断言したり、松阪の外国の人たちが住んでいる区域に分け入って、町が複雑に変化している様子も見てきました。短い時間だけど、春の宵のお散歩をして、ハナミズキが咲きかけ、八重桜が散りかけているのを見ました!
そういえば、実家の母に電話をしました。母は、15日は近所の銭湯が半額になるので、14時過ぎから銭湯に行こうと意気込んでいました。まあ、銭湯が半額というだけでアドレナリンが出る母なので、せいぜい銭湯にでも行ってもらいたいです。
こうして、自分の生活圏の中でウロチョロして、町の小さな変化を楽しむ時があります。
でも、全然知らない、まったく関わりのない人たちがいて、同じように苦しみ、楽しみ、喜びしているのだと、チラリとでも知る機会があれば、それはそれで何だか自分の生活が見直せるような気になります。
そして、それは簡単にはわからないから、一瞬で切り取った写真の中に閉じ込められていて、当時は気づかなかったことが、後になってふっと気づくことがあったりして、とにかく日々の生活で見落としていることを、何度も見直して、いつもその意味を考えなきゃいけません。
6年前に撮った写真にも、少し入ってないかなと思うのです。というわけで、長崎へ行ってみましょう!
眼鏡橋には妻と遠距離恋愛をしていたとき、夏の旅にでかけた1985年に初めて行きました。写真をあれこれと撮りましたが、あまりいいのは撮れなかったでしょうか。その後大雨で川が氾濫して橋が流されたことがありました。再度作り直して、2008年に訪れた時には、これが眼鏡橋だという感じでそこに存在していました。
ひょっとして30年前には川に降りる道がなかったのかもしれません。今回はそれが整備されていて、石橋とじっくり向き合うことができました。川の流れはそっちのけで橋をじっと見ました。
恋しい人がいたら、一緒に橋を渡って、一緒に路面電車に乗って、商店街を歩いて、少し足を伸ばして中華街をのぞいて……、いろんなことが広がっていきます。
でも、この時の私は、楽しそうに橋を渡っていくしあわせそうなカップルの後ろ姿を見て、「自分もかつてはここで楽しい思いをしたし、その時の女性は家でしっかり自分を待ってくれている……」と、悟ったような感じでしたっけ。そうでもなくて、とにかく夜の寝台列車が楽しみだったかな……。
そう思ったら、好きで長崎を1人で歩いているのに、里心みたいなのが湧いてきたのかもしれません。でも、それも一時で、すぐ何か目新しいものが見つかったら、家族大事というのは忘れて、もの珍しい方に気をとられてしまう、そんな愚かな私です。今も昔も……。
蛍茶屋という終点での3枚の写真は、長崎の市電を利用する人々の一瞬を無理矢理撮っていて、よくもまあ撮ったものです。観光客アドレナリンが出ていたので、恥ずかしさなどありませんでした。
6年前の正月には、まだ寝台特急「あかつき」が走っていました。だから、夜の19時過ぎに長崎を去って京都をめざす列車の旅というのがありました。ですから、その発車の時間まで、長崎の町の夜景を楽しむこともできました。移動には五百円出せば何度でも乗れる路面電車はあるし、どこでも歩いているだけで、異国情緒は味わえるし、夜になっても、何かを求めてさまよっていました。
たまたま、夕方から夜にかけての路面電車と地元の人々を3枚だけ撮っていて、そこに映る人たちの当時と今を思うことができます。そして、自分は、こうしてのんきにしているけれど、みんなどうしているだろうと、私は九州にルーツのある人間なので、九州にいる人たちには特別な思い入れみたいなのがあります。向こうは何とも思ってないですけど、こちらの思い入れはたくさんたくさんなのです。
そして、最後は「あかつき」です。
あと2ヶ月と少しで「あかつき」はなくなるところだったので、写真を撮る人たちは当然いて、私もぼんやりした写真を2枚撮りました。
そして、列車が走り出したら、駅で乗り降りする人たちが珍しくて、あと1枚撮りました。そして、長崎の旅は終わり、特にすることもなかったので、本読んでいるうちに寝てしまいましたっけ……。でも、こんな旅はもうできなくなりました。そして、世の中の人々は、そんな旅はつまらないと思っているようなので、まあなくなっても仕方ないです。
でも、どこかでそういう旅みたいなことができたら、私はうれしいです。
お金貯めて参加したいくらいです。
よくはわからないくせに火星を探して、「あれが火星だ!」と断言したり、松阪の外国の人たちが住んでいる区域に分け入って、町が複雑に変化している様子も見てきました。短い時間だけど、春の宵のお散歩をして、ハナミズキが咲きかけ、八重桜が散りかけているのを見ました!
そういえば、実家の母に電話をしました。母は、15日は近所の銭湯が半額になるので、14時過ぎから銭湯に行こうと意気込んでいました。まあ、銭湯が半額というだけでアドレナリンが出る母なので、せいぜい銭湯にでも行ってもらいたいです。
こうして、自分の生活圏の中でウロチョロして、町の小さな変化を楽しむ時があります。
でも、全然知らない、まったく関わりのない人たちがいて、同じように苦しみ、楽しみ、喜びしているのだと、チラリとでも知る機会があれば、それはそれで何だか自分の生活が見直せるような気になります。
そして、それは簡単にはわからないから、一瞬で切り取った写真の中に閉じ込められていて、当時は気づかなかったことが、後になってふっと気づくことがあったりして、とにかく日々の生活で見落としていることを、何度も見直して、いつもその意味を考えなきゃいけません。
6年前に撮った写真にも、少し入ってないかなと思うのです。というわけで、長崎へ行ってみましょう!
眼鏡橋には妻と遠距離恋愛をしていたとき、夏の旅にでかけた1985年に初めて行きました。写真をあれこれと撮りましたが、あまりいいのは撮れなかったでしょうか。その後大雨で川が氾濫して橋が流されたことがありました。再度作り直して、2008年に訪れた時には、これが眼鏡橋だという感じでそこに存在していました。
ひょっとして30年前には川に降りる道がなかったのかもしれません。今回はそれが整備されていて、石橋とじっくり向き合うことができました。川の流れはそっちのけで橋をじっと見ました。
恋しい人がいたら、一緒に橋を渡って、一緒に路面電車に乗って、商店街を歩いて、少し足を伸ばして中華街をのぞいて……、いろんなことが広がっていきます。
でも、この時の私は、楽しそうに橋を渡っていくしあわせそうなカップルの後ろ姿を見て、「自分もかつてはここで楽しい思いをしたし、その時の女性は家でしっかり自分を待ってくれている……」と、悟ったような感じでしたっけ。そうでもなくて、とにかく夜の寝台列車が楽しみだったかな……。
そう思ったら、好きで長崎を1人で歩いているのに、里心みたいなのが湧いてきたのかもしれません。でも、それも一時で、すぐ何か目新しいものが見つかったら、家族大事というのは忘れて、もの珍しい方に気をとられてしまう、そんな愚かな私です。今も昔も……。
蛍茶屋という終点での3枚の写真は、長崎の市電を利用する人々の一瞬を無理矢理撮っていて、よくもまあ撮ったものです。観光客アドレナリンが出ていたので、恥ずかしさなどありませんでした。
6年前の正月には、まだ寝台特急「あかつき」が走っていました。だから、夜の19時過ぎに長崎を去って京都をめざす列車の旅というのがありました。ですから、その発車の時間まで、長崎の町の夜景を楽しむこともできました。移動には五百円出せば何度でも乗れる路面電車はあるし、どこでも歩いているだけで、異国情緒は味わえるし、夜になっても、何かを求めてさまよっていました。
たまたま、夕方から夜にかけての路面電車と地元の人々を3枚だけ撮っていて、そこに映る人たちの当時と今を思うことができます。そして、自分は、こうしてのんきにしているけれど、みんなどうしているだろうと、私は九州にルーツのある人間なので、九州にいる人たちには特別な思い入れみたいなのがあります。向こうは何とも思ってないですけど、こちらの思い入れはたくさんたくさんなのです。
そして、最後は「あかつき」です。
あと2ヶ月と少しで「あかつき」はなくなるところだったので、写真を撮る人たちは当然いて、私もぼんやりした写真を2枚撮りました。
そして、列車が走り出したら、駅で乗り降りする人たちが珍しくて、あと1枚撮りました。そして、長崎の旅は終わり、特にすることもなかったので、本読んでいるうちに寝てしまいましたっけ……。でも、こんな旅はもうできなくなりました。そして、世の中の人々は、そんな旅はつまらないと思っているようなので、まあなくなっても仕方ないです。
でも、どこかでそういう旅みたいなことができたら、私はうれしいです。
お金貯めて参加したいくらいです。