郵便の封書が110円になるという。いつからだろう。まあ、近いうちのことのようです。世の中、何もかも値上げしているのだから、郵便だって値上げしてもいい。そんなのはわかっています。何も今さら言う必要はないでしょう。
でも、110円に値上げして、ちゃんと経営が安定するのか、またしばらくしたら、封書は130円にしてくださいとか、いやいや一気に150円でどうでしょう、なんていうことになりかねなくて、暗澹たる気持ちです。
戦略があってこの値段になったのではなくて、世の中の様子を見ながら、後手後手でやってきたというところなんでしようか。
私は、郵便切手はもう何十年も好きだから、いいデザインの時は、いまでもシート買いをしたりします。まさか、そんなにいろんな人に手紙を送るということはないのですが、何だか気になって買ってしまう。
昔みたいに翌日に届くとか、一日の午前と午後の二回配達されてたとか、そういうサービスはなくなりました。そして、封書でも、「あれ切手貼ってないなあ」と思ったら、近所の宅配業者のメール便だったりして、「こんな業者とも戦わなきゃいけないなんて、何だか大変」と思ったりするのです。
けれども、お互いに食い合いするというか、競争原理は当たり前のことでした。郵便だけが独占で配達するというのではなくなったようです。でも、そうなると、全国一律というルールは崩れて、不便なところは高くなるとか、配達されないということもできてくるでしょう。
私の住む三重県でも、消印を押してくれるのは県内で一か所だけになりました。ということは、すべて郵便物はそちらに一度集められ、それから全国に散らばっていくので、消印を押してもらうのも何日がかりになりました。近所の郵便局で封書を出しても、これはいつ着きますかと訊ねたら、何日もかかるし、今日の消印は無理だし、明日届ける必要があるとしたら、速達にしなさいなんて言われるようになりました。
お金を余分に出せば、早く届けてくれるようです。まあ、それがサービス業というものです。速さはお金で買い求めるものになりました。
110円で、どれくらい経営が安定するのか、それともすぐにまた値上げするのか、私にはわかりません。
きっとそういう場当たり的な経営でこれからも続けていってくださるんでしょう。ぜひ全国どこでも同じ料金で、封書を届けてくださる、そういうサービスを安定させてほしいんです。
こういう場当たり的というのか、先見の明がないというのか、なりゆきでお金をドンドンつぎ込むことって、どこかで見聞きしたなあと思ってたら、早速、夕方のニュースで、大阪万博の当初予算が600何十億であったものが、現在では1600億円を超えるという、倍の予算をかけてでもうまく建設できないという話を聞かせてもらいました。
私たちはもう、こういうことに慣れっこになっていて、何百億かかろうが、どれだけ赤字になろうとも、もう自分のことには思えなくなっています。政府のビッグイベントが私たちには無縁だなんて! 最近はこんなことばかりで、ほんとにイヤになってしまいますね。
たぶん、私どものほんの少しの税金では、赤字の補填にも何にもなりませんし、私たちだけではなくて、今生れていない子らにも負担してもらう、その人たちもこの税金は何に使われているのか、何のための税金なのか、もうイメージできなくなることでしょう。
こんなに自分のお金が、どこで使われているかもわからず、為政者は好きなだけつぎ込んで自分たちの企画した事業を推進して、ちゃっかり自分の利益はキープしつつ、あとは国のお金でお願いしますとか、国民全体で負担してくださいとか、そんな無責任なことをやっていくのだと思われます。
もうこれ以上ムダは続けていられない。実施したとしても、将来の子どもたちに負担させる愚かなことになるので、ここで中止を決断するとか、そういう話は絶対に出ないでしょう。彼らの失敗をクローズアップするわけですから、意地でも中止にしない。赤字になったら、それは人々の理解と協力が足りなかった、という反省の弁で済ませてしまうのです。彼らが負担を請け負うわけではなかった。
すべては未来への負債です。こんな風にして私たちは、すべてを未来にお任せして、今の利益だけを確保することに必死にさせられている。
私は、未来への申し開きもできないし、済まないなあと思うのです。でも、止められない。
郵便事業は、コツコツ値上げをしていく。利益が上がるように経営を工夫してくださると思うのですが、サービスは低下していくんでしょうね。それは仕方のないことなのか。そうだろうな。
何のために民営化されたのか? 国鉄も民営化されて、たくさんの路線を切り捨ててきて、ものすごくスリムになりました。儲かっている都心の路線は細かなサービスができているでしょう。地方は? もちろん、切り捨てでしたね。都会だけが日本国民の住むところで、地方はあえて不便なところに住む、役に立たない人間ども、そんな線引き、まさかないでしょうね。
全国みんな一律、みんなが同じように、同じような生活ができる、そんな社会を作れたらいいのになあ。