実家に帰ってきました。割と早く帰ってきました。早速、メダカの子どもたちを隔離したり、事故に遭ったクルマをディーラーに持って行ったり(2週間入院?)、あれこれしていました。
19時からは、「こころ旅」という番組の再放送版をみました。リクエストの多い回だったそうで、たたら(「鈩」「鑪」などの漢字はあるみたいですが、放送では、「かねへん」に「反」でした。)戸の野墓を見て来てください、という手紙でした。
2014年に55歳で、大阪の枚方の女性からの手紙です。
西伯郡大山町のたたら戸という集落が大山の北すそにあるそうです。ここでは、人がなくなると、遺体は河原に土葬するそうで、野原のお墓として集落の人たちに認められている。村から橋を渡って向こう岸の河原の適当な場所を掘るそうです。そうすると、大山のすそ野なので、火山性の大きな岩がゴロゴロと出て来るそうです。昔の土葬の桶が入るくらいの穴が掘れたら、桶を地面に沈め、土をかぶせ、出てきた石を目印に置いておく。家族・親族は誰さんはどのあたりに眠っているか、それはわかっているのですが、やがて桶も崩れ、上にのっけた石たちも埋もれていくと、やがては誰も知らないままに自然に帰っていく。そういう自然に帰っていく自分の命みたいなのを考えると、気が楽になるのです、というお手紙でした。
この不思議な習俗、遺髪や形見などは集落の近くの別のお墓にしまい、普段はこちらをお参りする。野墓は、自然に埋没させるためのお墓のようなもので、時折は親族がお参りするのでしょうか。この地域特有の両墓制というものなんだそうです。
山陰地方・北陸地方は、独特の埋葬方法がつい何年か前まで残っていて、今もあそこはたくさんの先祖の方たちが眠っているところなのだ、というのがあったり、大陸の影響を受けているかもしれない、独特の、まるで仏教以前の埋葬がありそうで(仏教本来の埋葬だったのか?)、私みたいな何も知らない人間が云々するものではありませんけど、本当はどうだったのか、誰かに聞いてみたいテーマがありました。
番組は、実は、多重構造になってしまっていて、2011年の秋に、初めて正平さんが鳥取を訪れ、当時は怖いものなしだったので、何でも来いと言いつつ、麓からずっと大山を登っていった。ところが、さすがに自転車で大山のかなり高いところにある峠までは無理だということになり、仕方なしにバスに乗った時の女性が、降り際に「いつも見てますよ」とスタッフ一同に声をかけ、それをきっかけにみんなで手を振りしたという、思い出深い、ヘトヘトになる回がありました。
なんと、その女性の娘さんが、大阪の枚方に住んでおり、彼女がふるさとの不思議なお墓とその習俗を守る野墓を見てきてくださいと、手紙を書いて、それが採用された(それが、3年後の2014年だったんです)。
正平さんがヘトヘトで登り切って、野墓を前にたたずんでいると、「三年前にバスで乗り合わせたものです」と積極的に声掛けしてくれて、「枚方の娘が手紙を書いたかもしれない」と告白し、正平さんはさすがに、「すべて仕込んだな!」と監督さんを責めたけれど、監督さんはそうではないということだった。
そんなめぐりあわせが、何とも感動的で、たとえ仕込みであろうとも、チラッとバスに乗り合わせた女性と、再び会えるなんて、それがまた人生の不思議というものだろうと、私は感動してしまったんです。
この番組も震災の年の2011年の春からずっとやっているので、今年で13年めです。いつも秋の終わり、初冬になると、来シーズンはもう正平さんは走らないだろう、と思っていると、年が明けたら、「今年も走ります」ということになっているけど、来シーズンはあるのかどうか、私はずっと不安です。というか、いつ終わってしまうのか、走り出したものは、いつかは止まらなくてはならなくて、それがいつなのか、何だか怖いんです。