高野組といえば、特撮技術の高野宏一(たかのこういち)さんたちの、特撮スタッフのみなさんでした。
もう54年前の写真ですね。中心人物の高野宏一さんも亡くなられて、何年も経ちます。今朝、たまたまツイッターを見ていて、「ああ、これだ、これが私のあこがれてた世界だった」と気づきました。
それを少し書いたら、タイヤ交換に行ってきます。こんな年末になってバタバタしてますけど、いつもお願いしているお店だから、無理を聞いてもらいました。
お仕事というのは、当然のことながら、たくさんのスタッフがいます。十数人の場合もあれば、何十人という組織もあるでしょう。でも、節目には、みんなお互いの顔をそろえて記念撮影というのがある場合もあります。ない場合もあります。最近は、あまりないのかもしれません。そんな、みんなで記念撮影よりも気の合う仲間とスナップでも撮ってる方が気楽でしょう。今はそれさえ大変なコロナの時代です。
そうした記念撮影の写真は、私はどこで見たんでしょう。とりあえずは、幼稚園の芋ほり遠足とか、そういう時の集団写真から始まって、小学校のクラス写真へとつながって行きました。
でも、クラス写真はあまり好きではなかった。
みんなブスッとして、おもしろくなさそうに写っているし、あまりに型通りだったじゃないですか。イキイキしてないのは嫌でした。
たくさんの顔が集まって、みんなで「さあ、これが節目。ひとつの仕事が終わった」みたいな達成感のある写真じゃなきゃ!
そういうのをどこで見てきたんだろう?
母のどこかの海岸あたりでの中学校の全校生徒の写真とか、あれは、みんな顔は小さいのだけれど、表情があって、あれはよかったですね。
他には? やはり、映画のスタッフみんなが集まって、作品完成を祝うクランクアップというのかな、そういう写真。あれは誇らしげで、小さな顔なのに、それぞれが輝いていて、あれはチラッと見ただけでも憧れでした。
いつのころからか、そういう大人たちみんなが、「お疲れさま。これで仕事も一区切り」今はここにみんないるけど、明日からは違う空の下でそれぞれ違う世界に行くんだね、という出会いと別れの感情をすべて包み込んだあんな写真、そういうのを撮ってもらえる、そういう大人になりたいと、無意識に思っていたような気がします。
映画の世界にあこがれたのは、そういう出会いと別れを乗り越えて、みんながある期間だけ一緒に過ごす、あの祝祭感覚があったからかもしれません。
大人になって、そういう世界には入れなかったけれど、歓送迎会などでみんなで「ワッ」とか言ってる写真、ほんの少しだけあるけれど、ああいうのを今でも心のどこかで求めてたんだなと思いました。
だってもう、そんなにバリバリにお仕事してないし、たくさんのスタッフと働いているわけじゃないじゃないの?
ハイ、そうかもしれません。でも、むやみやたらに、そういうのが好きなんです。今からでも遅くないから、そういう仲間を募って、何かやれたらいいな。コロナなんて、あとしばらくしたら終わってしまうし、みんなで何かしたいです。