2015年の夏、姫路から少し内陸に入ったおもちゃ博物館にうちのオカンと行きました。オカンはまるで興味はなかったけれど、私に付き合って着いて来てくれたんですね。
表紙は、ウルトラセブンの金属おもちゃですね。こんなの高くて、とても買えなかったし、気持ちの中ではセブンとは少し離れていたかもしれません。それよりも楽しい世界なんて、特にはなかったんだと思うんだけど、セブンが動くロボットなんて、夢のまた夢でした。そして、たぶん、あったとしても、それで遊ぶことなんてなかったでしょう。
これは敦賀の気比神宮の土鈴ですか。気比神宮って、一度近づいたことはありますけど、門前を通っただけでした。いつか正式にお参りに行けたらいいですね。こんなお人形さん、売ってるんだろうか。あったら、買うかな。半々ですね。せっかく買っても飾るところがないしなあ。
昔は、戦車もおもちゃになったんですね。今の子は、戦車で遊んだりするんだろうか。「カッコイイ」なんて言いそうになる気持ちを、そんなの必要悪なのだ、国民を縛り、人々を襲い、威圧する、それが目の前にやってくれば、私たちの自由なんてひしゃげてしまう。
うちには、全くそんなのなくて、サンダーバードの小さいのがあるだけです。ホッとします。サンダーバードは徹底的に救助だけだから、本当に安心して見ていられます。
このお人形さんたちのパワー、すごいものがありますね。幸か不幸か、うちにこんなのないです。床の間とか、神棚とか、自分たちとは違う次元のスペースがないと、とても置いておけないな。
こんな軍艦おもちゃ、これはチープで、攻撃的ではなくて、かわいらしいけれど、たぶん、それなりに好戦的なおもちゃだったんだろうな。
これも、軍艦おもちゃかもしれません。乗ってる人は軍服ではないけど、提督とか司令官とか、そういう意味で乗っているんでしょう。
船のおまつりの山車をおもちゃにしたものがあったので、それの応用で割と簡単に作れてしまうところはあったのかな。だから、旭日旗を飾って軍艦ぽくしなければならなかったんでしょう。
こん女の人たちの姿・顔、みんな伏し目がちで、それぞれ考えるところがありそうです。幸いにして、うちには女の人のお人形はないですね。あったら、粗末に扱えなくて、これまたうちには管理できないものでした。
サッと見るだけで、有り難いというのか、見るだけで満足というのか、うちには置いておく場所がありません。まあ、それでよかった。
お内裏様たち、うちにはそういうのを飾る場所も、人もいないから、これまた何もありません。
おもちゃって、持つ人の生活スタイルが反映されるものです。
だったら、うちは? 怪獣と、紙のゴミと、本と、ビデオテープと、使えなくなった家電と、そういうものがうちのおもちゃだったんですね。
コボットおもちゃは、私は買ってもらったことがあったんだろうか。あったのかもしれないし、なかったのかもしれない。ロボットって、50年代から60年代までがピークだったのかな。
円盤も流行りました。私は、この流れを目撃したことがあります。デパートだったのか、おもちゃ屋さんの店先だったのか、それとも、だれかのおうちでうらやましく見たのか、見たことがあった。クルクル回るだけで、つまらない動きなんだけど、それがワクワクしたものです。でも、縁がなかった。
十数年前、何かのイベントで鉄人28号が乗っている円盤おもちゃをゲットしたけれど、当然のことながら、どこかにしまい込まれて、簡単には出てこないですね。まあ、そんなものですね。
おばけのQちゃん、藤子不二夫Aさんだったのかな。Fさんだったのかな。それとも完全な合作だったのか。二人のキャラが重なる、不完全な異質な同居者でした。それが進化したら、ドラえもんになったりするんだろうけど、怪物くんに向かう道でのQちゃんだったのかな。
これは外国のおもちゃ、というか、人形でした。おもちゃというか、神様的ではありますね。
日本の郷土玩具たち。たい車もちゃんと入っていて、私としてはうれしいところです。
ロボットとアニメのキャラたち。
最後は、うちにもありそうな、いや、ブースカは同じポーズでうちにありますけど、そういう怪獣たち。
おもちゃを訪ねて旅するなんて、ぜいたくでしたね。また、行けたらいいのに。