戦前の鬼ケ城絵ハガキで遊んでいる私です。本当にお恥ずかしいです。
でも、こうした人々の工芸的な気持ちで作られていて、なんだかすごいなと今さらながら驚いています。
昔、今から50年ほど前、美術館に行って、記念に絵ハガキを買ったら、作ってるところは大抵「便利堂」というところだったような気がします。
観光地の絵ハガキはどこが作ってたかな。ペガサスのマークの会社は見かけたことがありました。
この80年ほど前の絵ハガキは、KAIGAKENKYU KFL とあります。YAMADASHIとあるのは、宇治山田、今の伊勢市にあったんでしょうか。そこで絵ハガキを制作する絵画研究KFLがあったのかな。
人がする仕事だから、色的におかしいところがあったりする。
タイトルは「奇巌映えて」とあって、その説明は、
ここにも奇巧の巨巌を見る。人面巌(じんめんいわ)と称せられる巨巌である。その絶妙を極めた神技は瞠目驚歎(どうもくきょうたん)の外はない。
ということでした。確かに人面岩と言われればそうかもしれないけど、写真だとそのように見えるわけで、現場では「人面岩だ」と喜んで写真を撮る、みたいなことにはならない気がする。
たくさん、この岩みたいなのがあるので、どれも同じに見えてしまう、気がします。
スロープの下には、緑の着色がありますが、これは現地へ行った人なら、こんなところに木が生えてたかな、と思うんですが、遠く離れたところで作業として色塗りをしているから、ついつい緑にしてしまったかな。
沖に浮かぶ島が二つ、左手は島ではなくて岬なんですが、この二つの島、たぶん、「魔見ケ島」と書いて「まぶりか」と呼んだような気がするんですが、ここにも緑が塗ってありますけど、ここは岩礁なので、波に洗われるところだから、草木は一切ないんです。でも、遠くのみどりの島というイメージだったんですね。
私の好きな「獅子岩」のタイトルは、「海に向かって」です。説明は、
荒波踊る海に向かって、百獣の王獅子の咆哮するが如き形状をなせる奇巌。これが有名な獅子巌である。真にその妙をなせる奇巌といふべきである。
ということでした。左手の岩がライオンで、その奥に突き出ているのが鬼ケ城でした。
私は、実は鬼ケ城は三十何年前に行ったっきりでした。その後、何度も何度も鬼ケ城トンネルは抜けたことがありますが、観光地の鬼ケ城にはそれっきり行っていません。
けれども、海に突き出た巨岩の城で、海賊の基地にもなっていたと言われるところ、といっても、船着き場を設定できないから、海賊としても、見張りや宴会・集会などの使い道はあったでしょうけど、生活するにはどうだったかな。
何となく、黒澤明の「隠し砦の三悪人」みたいな、秘密の場所っぽいところではあったけれど、ただの伝説だったかな。いや、地元の人としては、怖い人たちがいるところとして、自らを戒める材料にしたんでしょうか。あんなところで暮らすならず者になってはいけない、とか思ったかな。
さて、この絵ハガキは、獅子が吠えるのがテーマですけど、残念ながら、吠えてる口のところを空の色にするのを忘れて、岩と同じ色が塗られています。たぶん、これの色塗りを担当した人も、それを受け取った人も、みんなそこまで気づかなかったものと見えます。
そう考えると、貴重なミスで、獅子岩さんには申し訳ないけど、これもまたありかなと思った次第です。いや、ライオンはずっと怒ってるかな? まさかね。
鬼ケ城のてっぺんに熊野古道の松本峠というのがあります。南には石浜が続いているのが見えて、そのそばには深い山々が押し寄せて来る感じがひしひししました。私たちは、こんな狭い空間で生きているのだ(生かされていて)、やれ名所だ、やれ仕事だとかつぶやいてたりします。
絵にしたら、こんな感じで、これは地元の画家の新谷さんの連作で、切手にもなりました。
獅子岩のライオンの口の写真を探しましたけど、見つかりませんでした。今度描いてみますね!