Ⅱ
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃
私の上に降る雪は
花びらのように降ってきます
薪(たきぎ)の燃える音もして
凍(こお)るみ空の黝(くろ)む頃
固く結晶化した雪というのでしょうか、ハラハラとコートの上に落ちて来て、
カサカサ音がしたのかもしれない。
いや、それでも雪が薪の燃える音というのは難しいです。
何か別の意味があるのでしょうか。
黒っぽいどんよりとした空から、わりとハッキリと雪が落ちてきます。
そうだ。詩なんだから、薪の燃える音だろうが、ガラスが割れる音だろうが、
大地が裂ける音でもいいから、詩人の感性で受け止めた音が響いてもいいわけです。どんな人生を経てきたというのか、あまり明るいとは言えないかもしれない。
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
私の上に降る雪は
いとなよびかになつかしく
手を差伸(さしの)べて降りました
「なよびか」は古語です。やわらかなさま。上品で優美な様子。風流な様子。などの意味があるそうです。
やわらかで、人恋しく、手を差し伸べるように降ってきたそうです。それくらい私の心を解放させようと降ってきた天の恵みかもしれない。
そう受け止めたんでしょう。それはチャンスじゃないですか。
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
私の上に降る雪は
熱い額(ひたい)に落ちもくる
涙のようでありました
熱くなったり、凍えたり、涙になったり、千変万化する「私の上に降る雪」です。
もちろんこれは、私がそう受け止めるから、いろんなふうに見えるのです。
悲しい時、静かに落ちてくる雪が、私の心を刺激して熱い涙が出てしまう。
そんな悔しさの象徴・悲しみの象徴にもなったりしている。
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました
私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、神様に
長生(ながいき)したいと祈りました
今までとは違う姿勢です。
今までだったら、それを受け止めていただけの私でしたが、積極的に雪に働きかけています。雪は神様からの使いみたいなものなんだろうか。
こんなに雪にイメージを膨らませることのできる中也さんって、なかなかたいしたものです。
冷たい。ヒンヤリする。時を忘れる。時間や空間を埋めていく。とか、そういうふうにしか私には見えませんし、どちらかというと、邪魔ものとして見るのか、風景を彩る道具としての雪としか思えない。こんなに私と向き合う何かの人格として、じっと眺めることができません。
私の上に降る雪は
いと貞潔(ていけつ)でありました
いと貞潔(ていけつ)でありました
最後は、いろいろと考えさせてくれた雪への感謝のことばです。
雪はとても決まりを守るような、何もかもをサラリと押し流してしまう、ものすごく清らかなものでした。
でも、こんなふうに書けてしまったら、残りの人生でどんなふうに雪を見たらいいのか、もうすべてを言い尽くしてしまっていて、次のことばが見つからなかったのではないですか。
中也さんなら、別の雪の詩が書けたかもしれないけど、とても苦しいものではなかったかな。