今朝、新聞に出ていた奨学金の取り立てのこと、書こうかと思いましたが、やめました。そんなの当たり前すぎておもしろくありません。
お役人さんは、仕事に熱心なだけです。その仕事は何で評価されるかといえば、どれだけ返済させたか、どれだけの額を取り戻したかなのです。真面目にお仕事した数字を出すために、額面通り取り立てた。
保証人になった人は、半額だけ請求されるんじゃないの! と訴えた人には、半額にして、何も言わない人には、額面通りのお金を取り立てる。そんなの当たり前です。知らないヤツが悪いんです。
これは、上の人への仕事であって、お金を借りた人たちへの誠意ではありません。細かい内容は、たぶん小さい字で書いてあるだろうけど、そんなのふつうは読まないのです。それで、仕方なく返済したら、実は半分でよかったなんて、恐ろしいことです。
すべてを知っていて、額面通り保証人から巻き上げようとするのです。あなたはたまたま保証人になっただけだから、半額だけ返済くださいなんて、口が裂けても言わない。
役人なのか、取り立て業者なのか、ウソつきなのか、もうだれも信用できないし、いろんな世の中のシステム、社会の安全弁とかなんとか、持ち上げられてるけど、運用はあやしいもんだとつくづく思います。
世の中のシステムは、それを運用する人たちには有利になるように使われていて、知らないヤツは損するようにできているのです。ああ、私はどれだけそういう情報をつかむことができるのか、まあ、無理ですね。
住んでない家の火災保険に入ってたり、たくさんたくさん無駄なことをしてますからね。自ら進んで損しているようなものですから、もう諦めるしかないか。せいぜい行政にだまされないように、お金の請求が来たら、すべて無視するしかないですね。クルマも要らない。土地も要らない。年金も要らない。ただ、自分の力で生きていきたいな。
ね、つまらないこと書くだけでしょ。
つまらないついでに、変てこな詩みたいなものですよ。本人は詩のつもりかな。
波止場と海鳥
発泡スチロールの小片が波にもてあそばれて、
さっきから何度も堤防にぶつかっている。
まるでその運動は永遠に続くかのようだ。
ポツリ、ポツリと灯りがあって、
光線は静かな海面をたたいて遊んでいる。
海が彼らの母であるかのようだ。
乗り捨ててあるトラックの運転席には、
夜気があらわれて、少し疲れたようにそこらを見まわしている。
そのまなざしは、なんとなく諦めたような雰囲気がある。
無造作な恋人同士が埠頭に顔を出すころは、
底冷えが激しく、モヤが立つ。
潮の香が妙に漂い出して、
彼と彼女を刺激した。
まだまだ夜は深い。
波の舌先が堤防をなめ飽きたころに、
鳥は目を覚ます。
朝を思い出したように高らかにさえずって、波の上を飛び跳ねていくのだ。
船のマストのてっぺんに、一点の輝きが現れ、
男たちは朝の顔を作ろうとするが、
女たちはまだ夜の顔を残したまま眠っていたりする。
そんなことを知ってか、知らずか、
わめき散らす海鳥たちは、沖をめざして飛んで行く。 1980.3.16 Sun