うちの奥さんが、宇多田ヒカルさんの歌を歌えるようになりたいと、最近のCDを買いました。でも、彼女はCDを聞こうと思っても、自宅にCDを鳴らすものがあってもうまく使えないし、パソコンで聞くみたいな面倒なこともしないので、買ったきりあまり聞けてないそうです。
この前のドライブ、どこに行ったかな。信楽だったかな。その時に初めてクルマで聞かせてあげました。私は何回か聞かせてもらってました。それで、感想は、最初とあと一つくらいで、あとはそんなにいいことないね、という印象でした。
せっかく小遣いの何分の一かを出して買っても、心に残る曲がなければ、残りの曲はムダになります。こんなのにお金を出したのかと、すぐ文句がいいたくなります。
どうしてこう、私たちは、短気でケチでせっかちになったんでしょう。
昔はもう少し鷹揚でした。奮発して買ったレコード、気に入った曲があるのは知っていて、そこにいくまでにどんな展開があるのかとか、どんな曲調か、今回のアルバムのテーマは何なのか、いろいろとワクワクしたものでした。
だから、シングルカットされた曲以外はなんということはなくても、とりあえず夢を見させてもらったから、まあ、いいかと思ったり、誰か気に入る人がいるかもしれないから、その人に貸してあげようとか、レコードを買うということは、ささやかながら財産を持つということになり、それを誰かに貸してあげたり、話題にしたり、何度も聞いてみたり、いろいろに使いみちがありました。
今は、ダメだと思ったら、それで終わりです。どこかに売りに出さねばなりませんが、取り扱いのお店、たとえばブックオフに持っていったとしても、十円単位で買い取られるので、百分の一になったりするから、アホらしくて売る気にもなりませんし、そもそもそういうものを買った自分を反省しなくてはいけなくなります。
CD・レコードは、リサイクルする時、全く価値をなさないものになってしまいました。だから、誰も手を出さなくなり、一曲またはyoutubeでただ聞くとか、とにかく安く手に入ればそれでよくなりました。
というわけで、音楽市場はライブだけが金になり、それ以外は意味をなさなくなった。その辺はプロ野球と似ていて、かつてはテレビの箱の中で輝いていたプロ野球は、テレビでは全く価値をなさないものになりました。日本シリーズでさえも、ワールドシリーズも、その時にライブで見る分には楽しめるかもしれないけど、たまたま見られないのであれば、もう結果はどうでもいいものになりました。
だから、ファンは、勝敗はどうあれ、球場に行けた時だけ、それなりの参加意識はあるけれど、それ以外はもうどうだってよくなっている。ライブでさんかできるかどうかです。わざわざ、それに関する細々としたことはどうでもよくなっている。
音楽もプロ野球も、興行としての意義があるだけで、中味はどうでもよくなっている。
というわけで、昔のように、1つのアーチストのアルバムをそろえる、洋楽の流行を追いかける、レコードのジャケットに惚れて衝動買いする、ということはすべてなくなりました。アルバムは買わない。アメリカも、イギリスも、アジアも、フランスも、そこで流行っている音楽なんか知らないでよくなりました。CDのジャケットもそこにどんな主張があるのか、そんなことより適当な写真みたいなものがあるだけで、誰もそれに惚れて何千円も出さないのです。握手券などのオマケ商法ももう終わりかな。
かくして音楽業界はしぼんでいる。仕方がないので、アーチストは営業に出て、映画などの異業種にも乗り込み、あれやこれやと売る作戦を考えるけれど、売るための音楽をわざわざ買うバカはそんなにいなくて、いよいよしぼむばかりです。
私は、それが悲しい。アーチストは、アルバムを作ってなんぼのもので、最初はつまらない印象でも、ある日突然こころに飛び込むことだってできたのに、もうそんな取り返しはできません。一瞬で売るか、地道にコツコツ足で稼ぐかしか残された道はない。
私たちは、自分で会場に出かけて、お気に入りのアーチストを見つけるしかない。かくして私たちはいよいよドメスティックになっていき、ワールドワイドは夢のまた夢で、日本語の応援ソングくらいに心を開かれるだけなんでしょう。
今の自分の音楽を述べただけですね。何だか寂しいのです。
昔、80年代まで、海外のアーチストがグイグイ飛び込んできたのにね……。