★ 2013/9/6(金) に書いた記事でした。ヤフーのブログに乗せていたものでした。
わが町大正区に架かる橋です。この下を渡し船が通っていて、住之江区に移動できます。けれども、あまり利用したことはありません。一度、夫婦で南港までサイクリングに出かけたときに乗ったことがありますが、もう20年以上も前の話です。まだ子どもが生まれていないころでした。すごい昔の話です。
今も運河を船が行き交います。こうした船たちは工場に材料やら、製品やらを持ってきたり、持って行ったりしてくれます。この工場に埋め尽くされた水辺に、伊丹空港ができる前まで空港があったなんて! それを聞いたときは本当に信じられなかったのですが、確かにあったそうです。
もっと昔には、ずっと松林がつづいていて、千本松という地名は今も残っています。たしか小学校の先生が、「私がここに赴任した頃は、松林がありました」とかいう話をしてくれたものでした。お話は何となくステキではありましたが、川辺に松が続く風景は想像できなかった。松林って、見たことがなかったかもしれない。
ただ、「そうか、そんなにきれいな海辺の風景があったのか。今はコンクリートで固められ、川の水は汚れ、だれも見向きもしなくなっているなあ」というような感想を持ったのだったか。けれども、今では少し魚が戻ってきています。先日は川をドロガメが悠々と上っていて、死んだ魚もプカプカ浮いている中で、タフなカメだと感心したものでした。
それにしても、あのベテランの先生はいつごろわが母校の小学校に赴任されたのでしょう。60年代だったんでしようか。まさか50年代じゃないよね。赴任して何年目というのも聞かせてもらったことがなかった。そう、あの男の先生の授業を受けたことはなかったんだった。
オオサカの街の河口を、平安の昔に紀貫之さんが土佐に赴任するときも、京都へ帰ってくるときも、通っていったのだなと思います。そうすると、つい数十年前には、平安のころの水辺の風景があったのかもしれない?
松林に囲まれたオオサカの川辺など、絶対に見ることはできないので、せいぜいイメージをふくらませてみましょう。いつか絵に描いてみたいです。
映画「泥の河」(1981)に出てくるような風景だ! と思って撮りましたが、なんとこの時に、川にボラたちが泳いでいるのを発見しました!
これもわが町の橋をたどると、有名なIKEAに行けます! これが私のふるさとの今の自慢できるものですね。
★ 2023/12/22・金曜日、今年もあと少しになりました・旅の計画は白紙、実家には行くと思うけれど、いつ行けるか、何だかそんなに騒いでいられなくて、手持無沙汰な感じです。