甘い生活 since2013

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「シン・ゴジラ」とにっぽん

2017年11月13日 21時40分27秒 | だいたい映画、ときどきテレビ

 昨夜、テレ朝系列でオンエアされた「シン・ゴジラ」という映画を見ました。

 うちの子は、ネットで2度ほど見ているそうです。ああ、うちの子ったら、そんなことばかり情熱があって、ホントの自分を探し損ねていますね。悔しいなあ。どうしたら、うちの子の道が見つかるのやら、いや、その前に私の道って、あるんだろうか。それもあやふやなもんですね。何がホントで、何がニセモノなのか、そんなのは生涯わからないじゃないですか。

 そうだな、うちの子のことは置いておいて、とにかく見たのです。

 2016年の東宝作品でした。いろんなところに今頑張っている若手俳優さんたちが顔を出していたような気がします。わりと豪華なキャストだった。ベテランもたくさん出ていて、それだけでもすごい映画でした。

 東京湾になぞの水蒸気が巻き起こり、火山の噴火なのか、それとも地震なのか、判明しないまま、この国を管理する人々の姿が映し出されます。それはいったい何なのか。国の中枢の人たちは、この事態にどう対応するのか、どのように意志決定がなされるのか。

 非常事態であれば、自衛隊も出動させなくてはならない。政治家は一応国民の安全を第一と考えているようなフリをしています。フリというのか、建前というのか、ホントは国民の小さな命よりも、もっと他のことに関心はあるのだけれど、とりあえず国民の生命第一を考えている、というふうに見える。

 けれども、事態はどんどんと悪い方向に向かい、巨大な両生類みたいなギョロ目の怪物がヨタヨタと東京の街を進みます。這い回っているだけなので、そんなに街のディープなところには行けなかったけれど、東京の海側はだいぶ破壊されてしまいます。

 一通り暴れたら、また海にもどっていきます。街の中に放射能と体液をはき出し、不気味な怪物の第一波は終了します。

 このあたりで、この怪物の出現を予想した1人の科学者が浮かび上がり、その男の足跡・業績が発掘され、怪物は放射能を取り込み、独自に進化する怪物であることが判明します。



 ふたたび現れたときには、おなじみのゴジラスタイルになっていて、鎌倉からずっと北上して、いよいよ多摩川を越えて東京の街中に入るぞ、というところでやっと自衛隊が乗り出し、総攻撃をかけます。

 この攻撃までに政府内で様々な議論が交わされ、米国とのやりとりもあり、秘密の特使(石原さとみちゃん)まで現れます。けれども、ゴジラは自衛隊の攻撃も、思いやり攻撃の米軍も、すべてはね返して、お手上げ状態になります。

 避難する途中の首相の乗ったヘリも打ち落とされ、日本はダッチロール状態となります。

 ここで、若き政治家で、今回のゴジラ対策に最初から関わっていた人のプロジェクトが、火器ではなく、放射能をエネルギーとして体内で核融合する不思議な生物なんだから、原子炉と同じで凍結させるしかないという結論に達し、ゴジラの凍結作戦を提案し、それにすがるしかない政府は、連合軍の核攻撃の前に、ゴジラ凍結作戦を実施し、みごとゴジラは凍結して、それで終わり、という映画でした。

 私は、役者さんたち(政府内に集められた若き個性派集団の人々)のセリフがすべて早口言葉のように速いのに驚きました。みんなよどみなくスラスラとまくしたてていきます。

 これが今の若者のテンポであり、こういうやりとりを当たり前とする人々がたくさん生まれているということに衝撃を受けました。

 劇映画なんだから、多少のデフォルメもされているんだろうけど、こういうテキパキしゃべりが当たり前になっている人たちによって、社会は進んでいくんだから、私みたいなとろくさい人は、その人たちの邪魔にならないように、またはその人たちが私たちのテンポに合わせてくれるときにだけ、「何ですか」と対応するしかないのだなと、これがショックでした。

 それから、平成のガメラシリーズでも感じたことだけれど、現在の日本で怪獣映画を撮るということは、すなわち自衛隊の協力なくしては成立しないのだとつくづく感じます。それほどに今の日本という国家の枠組みの中に自衛隊は組み込まれていて、国家存亡の時には、自衛隊はものすごくクローズアップされるようです。

 「シン・ゴジラ」という映画で、今の日本はどうなっているのか、それを考えさせられたわけですね。娯楽映画じゃなくて、日本とは何か。私たちはどこに向かっているのか。日本という国はどこで動いているか。そういうのをお勉強する映画でした。

 そうか。エンターテイメントではなかったんだ。お勉強の映画だったんですね。

 そしたら、何を学んだの? 

 自分がいるところ、日本は、早口の若者たちが走り回るところです。走り回れない若者は? もちろん、そういう人もいますが、そういう人たちはみんなスマホに夢中で、適当にお金を稼いで、適当に貧乏して、自分の生活や未来に希望を持てないまま、悶々として暮らしているでしょう。二極化は今も進んでいるんだな。

 自衛隊は、国を守るものなの? もちろん、その通りで、おバカな政治家は、対北朝鮮や中国・ロシアという何十年前のまんまの人もいると思われますが、そんなのを敵として考えるのは古い政治家で、すでに自衛隊は、外部の敵に向かうのではなく、国の内側にある敵に立ち向かわなくてはならない存在になっている。

 東日本大震災、広島の水害、福岡南部の水害、毎年、あらゆる時期に、国内ではどうにもならない事態が起こり、その度に出動しなくてはならなくなっている。

 そりゃ、大砲や戦車に飛行機・ヘリコプターなどを持っているので、戦争らしき事態があれば、そこに向かうでしょうし、日本各地で訓練もしてもらっていすが、もう相手は国外にはいないのだとつくづく思います。

 仮想敵国はいません。中国・ロシアを敵にしたがる人々は、現状がのみ込めていないんでしょう。中国がどうして日本に攻めてくるでしょう。中国の敵は、中国共産党内部にあり、異民族や香港、チベットなど、中国共産党を信用していない人々は何億もいることでしょう。強そうで、強面で、仏頂面で、不機嫌な様子ですが、自分の内側が怖くて、とても笑ってなんかいられないのです。

 そんなこんなを考えさせてくれる、日本とは何か、私たちはこれから原子力とどう向き合うのか、まじめに議論しなくてはならない、というのを教えてくれる映画でした。



 原子力は? もちろん、1954年から結論は出ています。いや、もっと前からかな。原子力は持たない。持ったら、とんでもないことばかり起こるし、何十億年も日本という国があるわけはないのだから、そんな何十億年まで汚染し続ける原子力には手を出さない。

 それが結論だったのです。でも、経済優先という誘惑に負けて、もう何十年も私たちは原子力を背負わされている。経済が少し良くなるから、とても効率的なエネルギーだから、これからも推進していこう、という経済界のお声はあると思います。

 それはそうでしょう。でも、先ほども申しましたが、敵は私たちの内部にあります。原子力なんて、こわくないし、暴れるようだったら凍らせればいいんだという安易な考えの人がいます。自分たちの国の奥底がどうなっているのか、適当に判断して、ここの地盤は大丈夫と太鼓判を押す人もたくさんいます。そうまで言われたら、原発を動かさないのがバカみたいに見えるけれど、それは自分の内部を見えていないという証拠です。

 私たちは、どれだけいい加減なのか、それを検証しなくっちゃ! とにかく私なんて、全く信用できない。でも、私は、この信用できない、できそこないの自分を、何とかしていくしか私には道はありません。だから、仕方なく、信用できない自分を信じて、なるべくミスしないように生きていきたい。



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