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何だか、ものものしい、重苦しい気分の5月の終わりです。まだ梅雨入りさえしていないのに、ものすごく気分は重いです。私なんて、何もたいしたことはしていないのに、便乗気重で、とんでもなくドヨヨーンとした感じです。
気分を晴らそうとドライブにでも出たら、大変なことになります。私のクルマには草刈り鎌が2つもそのまんま積んであるし(純粋に草刈りするためです)、すぐにあやしいヤツとして捕まってしまうでしょう。
だから、ションボリとおうちにいなくちゃいけないし、もう10日ほど目の不調は続いているし、今日久しぶりに早く帰ってきて近所の眼科に行ったんですよ。私にしては機敏な動きだったのに、18時で受け付け終了ということで、閉め出されてしまった。19時まで開いているから、OKだと勝手に判断した自分がいけなかった。ああ、ションボリです。
さて、伊勢志摩サミットとやらは、経済に関する話し合いがなされるという感じですけど、Aさんはそれくらいしか頭にないでしょうけど、その経済もあやういものです。私たちの国のトップって、どうしてそういう人しかなれないもんなんでしょう。仕方がないことなのかもしれないけれど、信頼できない人ばかりです。みんな自分のことがあって政治家業をやってますから、自分の所への利益優先ですからね。
もう政治云々はおいておいて、とにかく、政治ショーになるのかどうかさえもあやういけれど、6つの国のトップが集まるらしいです。いっそのこと、プーチンさんも招いて、みんなで仲直りさせるくらいの度量が欲しかったけれど、それも自国の利益にならないから、プーチンさんを招くときには、それなりにもったいをつけて、それらしいやり方で招きたいのでしょう。
だから、いよいよプーチンさんは、日本に来る気持ちも失せるでしょう。日本に来るということは、何らかの約束をさせられるわけですから、そんなアホらしい手には乗らないでしょう。
つまらないことを書きました。でも、私たちは、今もトップも下々も、みんな竹槍戦法で立ち向かっているのではないかと、不安になることがあります。もっと合理的な考え方、どういうわけかできないみたい。
◇ 竹槍戦法
日露戦争以来、日本陸軍は、戦略的には攻勢主義、戦術的には白兵主義(はくへいしゅぎ)を方針としてきた。やや単純化していえば、銃剣突撃(じゅうけんとつげき)と「必勝の信念」によって近代戦を戦い抜こうという考え方であるが、その行きついた先は玉砕主義(ぎょくさいしゅぎ)であった。それは戦術思想の破綻(はたん)というか、もっと率直にいえば放棄を意味していた。
太平洋戦争の末期、戦局が行き詰まってくると、使用する白兵もない「白兵主義」という不思議な現象まで出てくる。竹槍戦法がその典型である。竹槍といっても、戦後生まれの人などには、わからないかもしれないが、文字どおり、竹竿(たけざお)の先を削いで槍としたものである。正規兵も一部持たされたようだが、主として非戦闘員用の武器であった。
うちの父が語ってた、海岸での竹槍訓練です。武器も持たされず、普通なら、白旗を上げて降参しなくてはならないのに、あえて竹槍で戦えというのです。そんなことよりも、ジャングルの中で自爆攻撃とか、もっとゲリラ的な戦法を考えるのならともかく、真っ正面から竹槍で戦車に立ち向かわせる作戦です。
今だから、アホみたいと笑えるけど、実は今でもこれに似たことを学校現場や、会社などでやらしているのではないかと不安になります。合理的な対応がちゃんと取られているかどうか、私は不安です。
竹槍戦法に類することは、外国にも例がないわけではない。南北戦争のとき、物資が窮乏した南軍の中には、棒だけを手にして突撃した部隊もあった。ただ、わが国の竹槍戦法が異様であるのは、非戦闘員、それも地域によっては女性や年少者まで巻き込んで強制されたというところにある。
非戦闘員に竹槍を持たせて戦うことが誤っていることはいうまでもない。その理由の一つは、そんなことをやっても、戦術的になんの意味もないということである。
私は、大人たちが集まって、かわるがわる竹槍で藁人形を突くのを見ていたことがある。B29(アメリカの重爆撃機)の編隊が連日のように飛来しているのに、こんなことをやっていて大丈夫なのだろうかと子供心に思ったが、やはり大丈夫ではなかった。今でも、あの光景を思い出すと、腹が立つより先に、情けなくなってくる。〈鈴木眞哉『謎とき日本合戦史』(講談社現代新書)より〉
日本での過去の合戦は、源平の戦いの時代も、戦国時代も、接近戦ではなく飛び 道具を使った戦闘が主体であった。この本の著者はそれを様々な記録より実証している。
ところが、日露戦争の二○三高地の突撃あたりから(もっとそれ以前か? とにかく明治に入ってから後のこと。プロとしての武士の戦いでなくて、国民皆兵となってから、その国民どもに日本国的精神を体現させるという意味?)やたらと接近戦が推奨されることになったといいます。
そして、太平洋戦争の兵士も、一般市民も、現地の外国人も、ゲリラ戦や玉砕作戦に参加させられていく。今の日本には接近戦を進める戦略家はおそらくいないと思われますが、どこかで竹槍突撃を勧める精神主義者はいるかもしれないです。
気分を晴らそうとドライブにでも出たら、大変なことになります。私のクルマには草刈り鎌が2つもそのまんま積んであるし(純粋に草刈りするためです)、すぐにあやしいヤツとして捕まってしまうでしょう。
だから、ションボリとおうちにいなくちゃいけないし、もう10日ほど目の不調は続いているし、今日久しぶりに早く帰ってきて近所の眼科に行ったんですよ。私にしては機敏な動きだったのに、18時で受け付け終了ということで、閉め出されてしまった。19時まで開いているから、OKだと勝手に判断した自分がいけなかった。ああ、ションボリです。
さて、伊勢志摩サミットとやらは、経済に関する話し合いがなされるという感じですけど、Aさんはそれくらいしか頭にないでしょうけど、その経済もあやういものです。私たちの国のトップって、どうしてそういう人しかなれないもんなんでしょう。仕方がないことなのかもしれないけれど、信頼できない人ばかりです。みんな自分のことがあって政治家業をやってますから、自分の所への利益優先ですからね。
もう政治云々はおいておいて、とにかく、政治ショーになるのかどうかさえもあやういけれど、6つの国のトップが集まるらしいです。いっそのこと、プーチンさんも招いて、みんなで仲直りさせるくらいの度量が欲しかったけれど、それも自国の利益にならないから、プーチンさんを招くときには、それなりにもったいをつけて、それらしいやり方で招きたいのでしょう。
だから、いよいよプーチンさんは、日本に来る気持ちも失せるでしょう。日本に来るということは、何らかの約束をさせられるわけですから、そんなアホらしい手には乗らないでしょう。
つまらないことを書きました。でも、私たちは、今もトップも下々も、みんな竹槍戦法で立ち向かっているのではないかと、不安になることがあります。もっと合理的な考え方、どういうわけかできないみたい。
◇ 竹槍戦法
日露戦争以来、日本陸軍は、戦略的には攻勢主義、戦術的には白兵主義(はくへいしゅぎ)を方針としてきた。やや単純化していえば、銃剣突撃(じゅうけんとつげき)と「必勝の信念」によって近代戦を戦い抜こうという考え方であるが、その行きついた先は玉砕主義(ぎょくさいしゅぎ)であった。それは戦術思想の破綻(はたん)というか、もっと率直にいえば放棄を意味していた。
太平洋戦争の末期、戦局が行き詰まってくると、使用する白兵もない「白兵主義」という不思議な現象まで出てくる。竹槍戦法がその典型である。竹槍といっても、戦後生まれの人などには、わからないかもしれないが、文字どおり、竹竿(たけざお)の先を削いで槍としたものである。正規兵も一部持たされたようだが、主として非戦闘員用の武器であった。
うちの父が語ってた、海岸での竹槍訓練です。武器も持たされず、普通なら、白旗を上げて降参しなくてはならないのに、あえて竹槍で戦えというのです。そんなことよりも、ジャングルの中で自爆攻撃とか、もっとゲリラ的な戦法を考えるのならともかく、真っ正面から竹槍で戦車に立ち向かわせる作戦です。
今だから、アホみたいと笑えるけど、実は今でもこれに似たことを学校現場や、会社などでやらしているのではないかと不安になります。合理的な対応がちゃんと取られているかどうか、私は不安です。
竹槍戦法に類することは、外国にも例がないわけではない。南北戦争のとき、物資が窮乏した南軍の中には、棒だけを手にして突撃した部隊もあった。ただ、わが国の竹槍戦法が異様であるのは、非戦闘員、それも地域によっては女性や年少者まで巻き込んで強制されたというところにある。
非戦闘員に竹槍を持たせて戦うことが誤っていることはいうまでもない。その理由の一つは、そんなことをやっても、戦術的になんの意味もないということである。
私は、大人たちが集まって、かわるがわる竹槍で藁人形を突くのを見ていたことがある。B29(アメリカの重爆撃機)の編隊が連日のように飛来しているのに、こんなことをやっていて大丈夫なのだろうかと子供心に思ったが、やはり大丈夫ではなかった。今でも、あの光景を思い出すと、腹が立つより先に、情けなくなってくる。〈鈴木眞哉『謎とき日本合戦史』(講談社現代新書)より〉
日本での過去の合戦は、源平の戦いの時代も、戦国時代も、接近戦ではなく飛び 道具を使った戦闘が主体であった。この本の著者はそれを様々な記録より実証している。
ところが、日露戦争の二○三高地の突撃あたりから(もっとそれ以前か? とにかく明治に入ってから後のこと。プロとしての武士の戦いでなくて、国民皆兵となってから、その国民どもに日本国的精神を体現させるという意味?)やたらと接近戦が推奨されることになったといいます。
そして、太平洋戦争の兵士も、一般市民も、現地の外国人も、ゲリラ戦や玉砕作戦に参加させられていく。今の日本には接近戦を進める戦略家はおそらくいないと思われますが、どこかで竹槍突撃を勧める精神主義者はいるかもしれないです。