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甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

ヒステリックな日々のなかで

2017年11月27日 21時31分18秒 | 私たちの社会・世界

 アメリカではどんどん新しい球場ができているんですね。それぞれ独自の色を出して、地域の方々を楽しませようとしているみたいです。日本ではまだまだ少なくて、マツダスタジアムはそれに近いかな。だから、私は行ってみたいんですけど……。

 日本は貧乏だから、なかなか新しい球場が作れません。けれども、アメリカみたいに、地域の活性化と自分たちのアイデンティティのために、新しい天然芝の球場で、みんなでおもしろおかしくごひいきのチームを応援できたら、それはなかなか楽しいだろうな。

 日本の球場は、トイレはくさいし、オッチャンはタバコを吸うし、すぐにビールとかを飲ませようとするし、なんだかやっていることも貧乏くさいし世知辛いのです。もっとゆったり野球観戦ができたらいいのになあ。まあ、私たち自身にそんなに余裕がないから、ゆったり野球観戦なんてできないのかもしれない。

 高校野球の球場も、イスは固いし、スタンドは急角度で転げ落ちそうです。変なお囃子が入るし、時にはわざとらしいメガホン集団・イケイケのチアガールなど、あれもこれも日本的なミニチュアの、ゆとりのない応援が行われています。まあ、そんなに日本の球場がイヤなら、行かなくてもいいくらいで、実際にもう何年も行ってません……。

 サンフランシスコのきれいな球場の写真を載せました。こことビンボーでケチな大阪市は姉妹都市関係にあったそうです。確かに1970年の大阪万博にサンフランシスコ市館はありました。たぶん、エキスポランド側にあったから、そんなにお客さんも混雑していなくて、私たちは会場をまわり疲れた夕方に訪れたように思います。



 中味はまるで記憶にないけど、ケーブルカーとか、果物とかの展示があったのかもしれません。物産館的な内容だったんでしょう。だから、わりとスイスイのぞくことができて、何も憶えていないことになりました。でも、スタンプは押しました。それとパンフレットは今も持っています。とにかくそれが私の万博における充実感でした。

 つまらない思い出を書きました。

 そのサンフランシスコ市と大阪市は縁を切ることになったそうです。今までだってたいしたつながりはなかったのだから、いつでも縁は切れるはずでしたが、それでも唐突な感じがします。

 関係断絶の理由は、サンフランシスコ市が慰安婦像を市有化したことに対して、大阪市としては許せないということで破談にしたというのです。

 サンフランシスコも、大阪も、つまらないことで簡単にケンカして、簡単に今までの関係を断ち切ることができる、そういう関係性だったということです。だからまあ、そんなに深いつながりはなかったというべきでしょうか。

 それにしても、大阪市は、ヒステリックな対応を取りました。まるでこどものケンカみたいです。大人の行動とは思えない幼稚な行動です。さすが維新の会です!

 きっと大阪市の市民の皆さんは、どっちでもいいことだと思いつつ、維新の会から出ている市長さんの処置について賛同することでしょう。大阪市民の半分近くはそうしたヒステリック好きなんだと思われます。

 それで気づきました。もう現代は、今まで積み上げてきたことなんか簡単に帳消しにできる世の中なのだと。かぼそい、あるかなきかの交流の糸は、日本を非難する人々の行動を少し支持しただけで、それが交流を断ち切る材料になってしまうのだと。

 本来であれば、こまかな行き違いがあっても、今までのつながりを大事にし、不満があれば出し合い、お互いを理解し合うことを大切にしていかなくてはならなかったはずでした。

 たぶん、桑港(サンフランシスコ)には、韓国系の人たちもいて、その人たちが、日本国の従軍慰安婦問題を忘れないために、若い韓国女性像を作ったんでしょう。世界各地で日本軍の過去の過ちを忘れずに、自分たちの祖先がいかにないがしろにされてきたか、それを忘れないでいたいという気持ちを具体化させたもののはずでした。

 それが結果的には日本非難になってしまった。それからすぐに、維新の会としては、普段の高飛車口調の手前、ついついそれを許せなくなって、姉妹都市関係をぶった切ることにしたようです。

 ああ、なんと短絡的で、ヒステリックで、したたかではない、すぐにボキッと折れるような行動です。そんなことをしたら、あともどりもできないのに……。

 でも、市民・国民が支持してくれているから、支障のない限り強ぶっていくのかな……。

 人々が支持するから、なおさらヒステリック口調はペースをあげていくことでしょう。大阪市だけではありません。北朝鮮のニュースも、超大国の大統領によるツイッター発信も、某国の首相の舌足らずな答弁も、みんなヒステリックなしゃべりになっています。

 私なんか、あんなのを聞いていると、情けないやら、腹が立つやら、バカらしいやら、底が見え透いているやらで、すぐに画面上からあの人たちを消してしまうようにしていますが、世の中的にはあの人たちのヒステリックなのが受けているようです。



 昔だったら、二度と這い上がれないスキャンダルがあっても、なかったことにしてしまえるし、抗弁している最中のあの情けないおしゃべりが、けなげに質問に真摯に向き合っていると誤解されて支持率アップにつながっている。

 もうみんながヒステリックなしゃべりを支持しているんだから、それは仕方がありません。そしていつの間にか人々もヒステリックな物言いをするのが当たり前になっているし、ヒステリックに怒りをぶつけるメディアが大繁盛している。ツイッターとか、私の知らないいろんなヒステリック・メディアはあるみたいです。

 みんなが「死ね」と叫び、苦しくなると「死にたい」を連呼し、一部の人は「だったら人が死ぬところを見てみよう」と好奇心をくすぐられ、中学生まで実際に実験してしまう。そんな世の中のようです。

 「死にたい」なんて、絶対に言ってはいけないことばでした。それなのに、どうして若い人は簡単に「死」を語るようになったんだろう。それくらい「死」というものが遠い存在になり、悩みを解決してくれるようなものに見えているのかも知れません。

 何の解決にもならないことを口にして、それで解決できるような気分になる。根拠はないけれども、とりあえずガミガミ強気でクレームを言う。言っているうちに自分は何がやりたいのかわからなくなり、とりあえず怒りによって対象の人がションボリして、「スミマセンデシタ」と言うまでその怒りを爆発させ続ける。



 ああ、私たちは、みんなでそんなつまらない人間になりさがっている。みんなでおとしめ合っている。みんなで落ちれば怖くない、と思っているかのように。

 そんなことよりも、もっと大切なことがあるはずなのに、そんなことは見ないで、目先の怒りだけに全勢力を傾ける日々です。

 もっと穏やかなしゃべりのできる人たちが、世の中にたくさん出てこないといけないですね。私のブログもヒステリックになってないか、心配になりました。もっとグダグタしなくちゃ!



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