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あとしばらく豆ゴハンを食べられるでしょうか。明日も、うまくいけばグリーンピースを産直で買って、豆ゴハンを作ってもらわなくっちゃ! 本当なら、お酒も飲まないで、おかずもいらなくて、ごはんだけで満足したいところなんですけど、私は欲張りで、オッサンだから、シンプルに夕食をゴハンだけ、というわけにはいかないのです。
ついお酒は飲んでしまうし、カマボコ・チクワ・薩摩揚げ、練りものならなんだって食べてしまうし、練り物があるとついお酒を飲んでしまいます。とんでもないことです。
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こんなにおいしいのに、うちの子は食べません。うちの子は、カレーが好きなので、何だったら、カレーを豆ご飯にかけたら、これまたどんなに違う世界が広がるだろうかと、私なんかは考えますが、若者はこだわりがあるのか、豆ご飯にカレーを許してくれません。
何だか損していると私などは思うのですが、若い時って、そんなものなんですね。まあ、個々のこだわりは大切だから、ぜひやれるとこまでこだわりつづけてもらいたいものです。
でも、時には、オッサンの意見を聞いたり、お母さんの意見を聞いたりしてくれたら、私たちはうれしいんですけどね。まあ、行けるとこまで行ってもらいましょう。
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伊勢本街道という道があります。何度かこの道を通ったことがあります。そして、今日、アベさんは伊勢の志摩市でサミットを行うと決定したそうです。彼もたまにはいいことをするんですね。まあ、私たちの生活には関係ないし、来年の今ごろはものすごい厳戒態勢で、日本各地から警察の方々が動員されて、道という道に警備に当たると思います。
それでも、落ち目の伊勢志摩国立公園にスポットライトが当たるのはうれしいことで、来年の7月にはまた例によって閑古鳥が鳴くことでしょうけど、何か世界に発信できるとしたら、それはうれしいことです。
というわけで、関西から伊勢神宮への道として伊勢本街道がありました。現在の宇陀市の榛原あたりで初瀬街道からはずれて、もっと山の中へ切れ込んでいく道があります。道的には何となく不安です。こんな山の中の道をたどって、本当に伊勢神宮へたどりつけるのか、ものすごく不安になったかもしれない。
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今でも、近鉄のルートをはずれて山の中へクルマで向かっていくとしたら、何となく不安になるかもしれない。でも、この道は昔、柿本人麻呂さんが「ひんがしの野にかぎろひのたつ見えて……」と歌った場所も近くにあるので、古代の人々にも、中世の人々にも、近世の人々にも、何となくなじみのある道だったのかもしれないです。今の感覚で見てはいけないのです。
そうすると、奈良の山の中を通って、三重の山深い土地にたどりつきます。少し盆地がいくつかあって、それらは南北朝から安土桃山までずっと北畠氏が支配する地域でした。
山深いけれど、それをうまく利用していて、大軍は攻めてこれないし、ここを守るには四方八方にはりめぐらされた道を使い、山間部全体で守っていく特別な領域となっていました。今の感覚で言えば、広大な平地の真ん中にお城を作り、そこを拠点に地域を支配するという感覚だけど、中世の北畠さんは違うのです。
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トップに北畠さんはいますが、小さな盆地ごとに統治する人がいて、その人の下にはまた部下たちがいて、半農半軍みたいな形で地域に根付いていました。それらをつなぐ道があって、それらの道は北畠さんがいる現在の北畠神社あたりに通じているのです。現在は国道368が伊勢本街道と重なっている。
その北畠さんの拠点から、伊勢本街道を通って、一山越す時に峠があって、それが仁柿峠(にがきとうげ)というところです。
クルマで一度だけ通ったことがありますが、現在の感覚でいうと、ものすごくこわい道です。ガードレールはないですし、道は細い。途中で対向車が来たら、お互いに通行不能になるようなところがいくつもあるし、もし中くらいのトラックが来たら、前に行くのか、後ろに下がるのか、それとも相手にすれちがうよう祈るのか、もう思考停止になるような、恐ろしい道です。だから、それ以来二度と行ったことはありません。
でも、そこの手前までチャレンジしようと奥さんが言うので、先日、行って参りました。実はもくろみがあったのです。
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……
ついお酒は飲んでしまうし、カマボコ・チクワ・薩摩揚げ、練りものならなんだって食べてしまうし、練り物があるとついお酒を飲んでしまいます。とんでもないことです。
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こんなにおいしいのに、うちの子は食べません。うちの子は、カレーが好きなので、何だったら、カレーを豆ご飯にかけたら、これまたどんなに違う世界が広がるだろうかと、私なんかは考えますが、若者はこだわりがあるのか、豆ご飯にカレーを許してくれません。
何だか損していると私などは思うのですが、若い時って、そんなものなんですね。まあ、個々のこだわりは大切だから、ぜひやれるとこまでこだわりつづけてもらいたいものです。
でも、時には、オッサンの意見を聞いたり、お母さんの意見を聞いたりしてくれたら、私たちはうれしいんですけどね。まあ、行けるとこまで行ってもらいましょう。
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伊勢本街道という道があります。何度かこの道を通ったことがあります。そして、今日、アベさんは伊勢の志摩市でサミットを行うと決定したそうです。彼もたまにはいいことをするんですね。まあ、私たちの生活には関係ないし、来年の今ごろはものすごい厳戒態勢で、日本各地から警察の方々が動員されて、道という道に警備に当たると思います。
それでも、落ち目の伊勢志摩国立公園にスポットライトが当たるのはうれしいことで、来年の7月にはまた例によって閑古鳥が鳴くことでしょうけど、何か世界に発信できるとしたら、それはうれしいことです。
というわけで、関西から伊勢神宮への道として伊勢本街道がありました。現在の宇陀市の榛原あたりで初瀬街道からはずれて、もっと山の中へ切れ込んでいく道があります。道的には何となく不安です。こんな山の中の道をたどって、本当に伊勢神宮へたどりつけるのか、ものすごく不安になったかもしれない。
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今でも、近鉄のルートをはずれて山の中へクルマで向かっていくとしたら、何となく不安になるかもしれない。でも、この道は昔、柿本人麻呂さんが「ひんがしの野にかぎろひのたつ見えて……」と歌った場所も近くにあるので、古代の人々にも、中世の人々にも、近世の人々にも、何となくなじみのある道だったのかもしれないです。今の感覚で見てはいけないのです。
そうすると、奈良の山の中を通って、三重の山深い土地にたどりつきます。少し盆地がいくつかあって、それらは南北朝から安土桃山までずっと北畠氏が支配する地域でした。
山深いけれど、それをうまく利用していて、大軍は攻めてこれないし、ここを守るには四方八方にはりめぐらされた道を使い、山間部全体で守っていく特別な領域となっていました。今の感覚で言えば、広大な平地の真ん中にお城を作り、そこを拠点に地域を支配するという感覚だけど、中世の北畠さんは違うのです。
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トップに北畠さんはいますが、小さな盆地ごとに統治する人がいて、その人の下にはまた部下たちがいて、半農半軍みたいな形で地域に根付いていました。それらをつなぐ道があって、それらの道は北畠さんがいる現在の北畠神社あたりに通じているのです。現在は国道368が伊勢本街道と重なっている。
その北畠さんの拠点から、伊勢本街道を通って、一山越す時に峠があって、それが仁柿峠(にがきとうげ)というところです。
クルマで一度だけ通ったことがありますが、現在の感覚でいうと、ものすごくこわい道です。ガードレールはないですし、道は細い。途中で対向車が来たら、お互いに通行不能になるようなところがいくつもあるし、もし中くらいのトラックが来たら、前に行くのか、後ろに下がるのか、それとも相手にすれちがうよう祈るのか、もう思考停止になるような、恐ろしい道です。だから、それ以来二度と行ったことはありません。
でも、そこの手前までチャレンジしようと奥さんが言うので、先日、行って参りました。実はもくろみがあったのです。
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