甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

指宿百景 その8 ハーブ園と畑の中の道と

2015年06月06日 08時11分47秒 | あこがれ九州
 大好きなカモミールには、開聞岳山麓のハーブ園で出会った。もう二十年も前のことだ。妻がいろいろなハーブのタネを見ていて、たまたま目にとめたのがカモミールだった。当時の私たちのまわりにはそういう植物は存在していなかった。

 妻が「カモミールというのは、安眠効果があって、お茶にして飲めるんだよ」と、タネを一袋だけ買った。とても軽いのに、それなりの値段だったような気がする。その時の私は「カモミールって何?」という感じで全く興味がなかった。いじらしいと思うようになったのは、それから1年後の春だったろうか。

 鹿児島から三重まで移動させられたタネは、耕されたばかりの秋の庭にまかれた。しばらくしたら小さな葉が出ていたようだった。他の雑草と区別がつかない私が取り除こうとしたら、それはカモミールの芽なのだからと指摘されて、もう少しで抜き取られるところだった小さな芽を改めて見直し、それでも半信半疑で、ただの雑草ではないのかと疑ってたりした。



 カモミールたちは、春には土地の力によって伸びて、大きく育った。やがて白い花を思い思いにつけているのを見たら、とてもいとおしいものを感じたものである。今から二十年前の初夏の出来事だったろうか。

 そんなハーブの草分け(不毛の大地に入り込む植物の言い方としてパイオニア・プランツというのがあると最近知りました)として、開聞岳山麓のハーブ園があった。その後、ガーデニングのブームが来て、日本各地にハーブを売り物にする施設が生まれ、ハーブを得意とするタレントさんが登場し、日本に定着してしまった感がある。

 けれども、日本の人は飽きやすいので、その情熱も少しかげりが出てきているような気がする。一通り味わったら、次のターゲットを求め、今まで楽しんできたことはどうでもよくなってしまっている。一部の人だけが忘れられたものを守り続け、いつかまたスポットライトが当たるまでじっと辛抱することになるのだ。

 私たち家族は、二十年ぶりくらいにハーブ園を訪ねようとしていた。雨はわりと強く降り続いていた。連休とはいえ、寒く、冷たく、夕方でもないのにうす暗くなっていた。



 私たちが到着したところには、クルマが一台しか止めてなかった。お客がほとんどいないようである。もうやめようかと一瞬思ったが、家族みんなで押し寄せてしまったので、引っ込みがつかなかった。しかも、提案者は私だった。私が中途半端に提案してしまったので、家族みんながイヤイヤここまで来てしまったのである。それなのに、クルマを止めた瞬間から、私は「失敗した」と思っていたような気がする。

 失敗した気持ちを打ち消し、どこかで一発逆転ができるような気がして、何かみんなを楽しませるものはないのかと、あたりを少しさまよった。建物は、中からオバサンがのぞいていたので、あえて入らず、もう1つの建物の喫茶室は、母がそちらで休憩してもいいようなことを言ってはいたが、それは母特有のポーズであって、本当はただみんなをのんびりさせたいから、みんなが休みたいのなら、ここで休みなさい。私は、本当はお金をこんなところで使いたくはないのだよ、というのが感じ取られて、みんなもう帰ろうということになり、私たちは、滞在時間十数分でハーブ園を出てしまうのだった。

 雨でなかったなら、開聞岳が見えていたなら、夕暮れの風景が美しかったら、お客さんでにぎわっていたら、もう少しハーブ園を楽しむことができたはずだが、私たちはここを去ることにした。



 もうこうなれば、適当に時間をつぶして帰るだけである。ただ、この時間をつぶすというのが難しくて、七十過ぎの母から小学四年生の甥っ子まで、みんなの欲求を満足させる時間のつぶし方がないのだ。温泉に入ろうという気持ちで出かけていれば、それなりに時間は消費されるのだが、この時は温泉気分ではなく、観光気分で家を出ていたので、みんな方向性が見えなかった。

 それではと、違った道を通って、どこかの産直で寄り道をして帰ろうとして、地図も持たず、いきあたりばったりで国道に出る道を探したので、畑の中の道で迷ってしまうことになった。農道は碁盤目のように南北に整理されているはずなのだが、その道で迷路に入り込んでしまう。どこもおなじような畑で、一本道のように見えてそうではなくて、突然細くなったり、どんどん国道から遠ざかっているように思えて、変なところで曲がってしまったり、時間にしてほんの十分くらいだったはずだが、家族みんなでクルマに乗っていても、ものすごく心細い思いをして、さまよい、突然ポッと国道に行けそうな道に出て、そこを通って、もと来た道に戻ることができた。



 途中で、方向転換しようと思い、空いているスペースに右折して入り込もうとしたとき、前を見ていたつもりなのに、前方から突然クルマが現れた感じで、事故になりそうな一瞬があった。

 明らかに私の前方不注意で、過失責任はすべて私にあるようなことがあった。それは一瞬のことで、私たちのクルマは空いているスペースに入り込めた。直進車もそこに立ち止まった。何か言ってやろうと思ったかもしれない。飛び込んできたのは私たちのクルマなのだ。

 けれども、鹿児島の車は、そこから人は出てこず、そこを立ち去った。私たちは、本当にハラハラして、もう少しで事故に遭う場面であったと反省して、ションボリとクルマを走らせることになった。

 ああ、うろたえていた私は、何も見えておらず、焦っていて、修正しようと躍起になっていた。別に焦ることはないのに、家族のだれも早く何かをしろと要求していないのに、自分だけの世界に入り込んで、何とかしなくてはと思っていた。たぶん、自分から何かしゃべろうとせず、黙々とクルマを走らせていたのではないか。そして、もう少しのところで事故を起こしそうだった。小さく反省して、私は、もう一度普段の私にもどろうと、言い聞かせつつ家に帰ることにしたのだった。


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