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大阪で仕事があって、その後で珍しく時間に余裕があったから(などと書くと、また、うちの原稿はどうしたんだ余裕なんかあるはずないだろ、と怒る編集者の方がいるのは目に見えているけど、そこはそれ寛容にね)お伊勢詣りということで三重県に立ち寄った。
名古屋から近鉄に乗って宇治山田に近づくにつれて、なんか周囲の風景に懐かしさを覚えるようになった。よく考えてみれば当然のことで、僕の母方の祖父は宇治山田の出身だったから、小学校低学年の頃に何度か両親に連れられて、この地方を訪れているのだ。
現地に近くなるまでは、そのことをコロッと忘れていた。
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もっとも、それは三十数年前のことだから、普通だったら懐かしさを感ずることのできないほど風景が変貌してしまっているのだろうけれど、やはりそこは伊勢神宮を控えた門前町の強さで、伊勢の街はその当時と、印象としてさほど変わっていなかったのかもしれない。日本に、まだそういう都市があることが嬉しい。
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神域の静謐(せいひつ)さもさることながら、傍らを流れる五十鈴川(いすずがわ)と朝熊山(あさまやま)の自然の美しさには感動した。
お伊勢詣りのついでに鳥羽まで足を伸ばして、鳥羽の水族館をのぞくことにした。
最近、新館がオープンしたことをテレビのニュースで見ていたし、本館の方の、しばらく前にフィリピンからやってきた二頭のジュゴンにも、まだお目見えしていなかったから顔を見ておこうと思ったのだ。
この水族館は鳥羽の町の観光の目玉なのでいろんな人が来る。なかには昼間っからベロベロに酔っぱらった中年男性ばかりの団体客などもいて、けして愉快な体験ばかりではなかったのだが(バーロー、酔っぱらって訳が分からずに水族館なんかに来るんじゃねえ、しまいにゃ鮫の水槽にたたき込むぞ)ジュゴンは実に平和な動物で、その、ノッタリモグモグと水草を食む(はむ)様子を三十分以上ながめていたら、酔客に対する怒りも収まってしまった。しかし、日本人というのは、なぜああも水族館やら動物園やらペットショップやらで、仕切りのガラスをたたいて動物の注意を自分に向けようという愚挙を行うのかね。そうすることによって動物がどれだけストレスを感じるかを、どうして考えないのかね。自分が相手の立場だったら、と、何ゆえに思考できぬのかね。
第一、そうやってガラスたたいて動物がこっち向いて、それで何になるというの? ちったあ自分のとっている行動の意味を考えた方がいいんじゃないのかね。
ジュゴンの水槽の前でも、この非常に神経過敏な動物を刺激しないようにと、撮影禁止フラッシュ厳禁の札が立っているのに、水槽のガラスを前にキャバクラ姐ちゃんみたいな若い女の子を立たせてフラッシュたいて写真撮る中年のオッサンがいた。さすがにワタクシ、注意しましたけどね。オッサン、関西弁で「あ、えらいすんまへんな」と一応は言ったけど、二、三歩離れて姐ちゃんの肩抱いて「ゲッヒッヒ」と笑いよった。
いっぺん刻んでウミガメの餌に混ぜたろか、ホンマ。
そういう人を見ると、やはの水族館や動物園というのは悲しい。