甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

念願かなって芦雪さんに会う!

2020年01月09日 20時52分07秒 | わたしの好きな絵!

 今から二百年以上前、長澤芦雪さんは亡くなっています。暗殺されたとか、いろいろうわさはある、みたいだけど、詳しいことは知りません。

 年末に串本の無量寺というところを訪ねて、そこの芦雪美術館で最初に「美の巨人たち」という番組のかなり古いDVDを見せてもらった受け売りです。芦雪さんは謎の死を遂げたというふうに言われていました。

 芦雪さんって、どんな人なんでしょう。円山応挙さんのお弟子さんなんだそうです。応挙さんより二十は年下だから、弟子の中で若手だったのかもしれない。

 そこへ紀州の南の方からのお客さんが来たそうです。応挙さんが対応すると、なんと絵を描いて欲しいということでした。どこにどんな絵を描くのか? そのお客さんは、串本のお寺のお坊さんだったということでした。そんな人が何をしに来たというんでしょう。


 紀伊半島の最南端から、お寺のお堂のふすま絵を描いてもらいたくて、応挙先生のところへ来ました、という。何のお寺なのか。お寺だったら、すでに襖絵くらいあるだろという感じです。

 よくよく話を聞いてみると、当時からすると、かなり昔の大地震の時、津波がやって来て、お寺も何もかもがなくなってしまった。それを少しずつ復興させていて、ようやくもう百年近く経過するのだけれど、やっと本堂も落慶するし、その襖絵をお願いしたいのです、ということでした。

 それにしても、串本って、どこ? と思ったでしょうね。どうして、そんなとこに行って、絵を描かなきゃいけないの! まあ、同情するところはあるけど、そんな何もかもを描くなんて、応挙先生は無理でした。京都でいろんな仕事があったはずです。


 お弟子さんの中で、若手で何にでもチャレンジしてくれそうな、見込みのある人として長澤芦雪さんは指名され、はるばる串本まで出かけていきます。船なのか、歩きなのか、そのミックスなのか、とにかくそれなりに時間をかけて串本にたどり着いて、そこでたったの四か月で、本堂の襖絵、トラ・龍その他いろんな古典的なテーマを描き上げました。

 一番有名なのが、「虎図」でした。

 虎というよりは大きな猫だし、顔のまわりの肩なのか、耳なのかよくわからないハート型が上手いのか、へたくそなのか、よくわからないけれど、とりあえず雰囲気はあるのかなと思ってましたけど、美術館で見せてもらったのは、どう見ても大きな写真で、あれ、この写真を見せてもらうのが1300円なの? と、少しガッカリしてしまいました。

 しかも、導入はDVDで、そういうのを見に来たのではないんだけど、という感じでもありました。ひととおりザッと見せてもらい、次に案内してくれると言うので、次お願いしますと係の人に言いました。

 そして、本堂の襖絵、表も裏も、いろんな部屋も、あれこれ見せてもらい、これらは特殊なプリントですから、写真もどうぞということで、薄暗い本堂の中で撮らせてもらいました。


 虎の向かいに龍がいます。トラに比べると、龍は少し大人しい。裏にもいろいろ工夫はされているみたいでしたが、美術館内も、本堂も、みんなプリントでした。ああ、ホンモノはどこにあるの? 県立博物館とか、そういうちゃんと保管できるところに預かってもらっているのか? 観光客にはプリントだけ見てもらえということ?


 そうそう、芦雪さんが自分の絵に押すハンコは、彼がたまたま見つけた氷の中の鯉を印にしたもので、じっと耐えた後、やがては爆発するという意味の閉じ込められたサカナを意味するものでした。

 確かに、この印を利用しているんだ。プリントとはいえ、芦雪さんの作品である証拠なんだろう。

 本堂のいくつかの部屋の絵も見せてもらった。


 そんなに感動しないな、プリント見て感動しろだなんて! 見たかったら、どこに行けばいいの?


 この写真の右手が美術館で、左手奥に本堂、左手手前の白い建物、これが最後に見せてもらった収蔵庫で、二重扉になっているし、湿気等に気を付けているようでした。

 そうか、ここに本物はあるのか!

 それで、待ちぼうけを食らって、もう見られないのかと思ってた本物と対面できました。わりとキレイに保存されているし、今まで二回も見せられてきたブリントと同じ構図・同じ大きさなのです。しかも何年か前に修復されたということでもありました。

 それでも、二百年以上前の襖絵には見えなかった。とても新しい、生まれたばかりの絵のような無邪気で素朴な感じが伝わります。

 それは気のせいなのか? そうかもしれないのだけれど、私の感覚なんて怪しいものなんだけれど、とにかくやっと本物にたどり着いた。ここまでの空振りが長くて、やっとポテンヒットした感じ。

 「実物は、わりとキレイですけど、修復とかしたんですか?」
「クリーニングはしたみたいで、そういうところでやってもらったということでした」というお話でした。

 芦雪さんは、四か月の滞在で、ふすまの表も裏も自らの持てる技術を爆発させて描いた。何しろ自らの絵が、津波災害に遭ったお寺の再興につながるし、数十年放置されてたところに、やっとお堂ができたみたいで、その手助けを自分はするのだという使命感にも燃えていたでしょう。


 かくして本州最南端の町・串本に円山派の若き俊才の芦雪さんの世界が広がった。それから二百年、知る人ぞ知るお寺となり、かなり奥まったところにある無量寺には美術館が建った。それは1960年代半ばのことだったそうです。それからも50年が経過している。

 地震災害は三百年以上前、長いブランクのあと、とうとうお堂も立つ。京都から絵師にも来てもらい、内部を飾る絵を描いてもらった。それから、何度か地震はあったみたいです。マグニチュード8を超える大きな地震もあった。

 ずっと見たいと思いつつ、どこにお寺があるのか、それも分からなくて、ずっと見るチャンスがなかったものに、今回やっと出会い直しをすることができた。

 写真では感動できなかったのに、ホンモノを見せてもらい、係の人の一生懸命な説明もしてもらい、最初の「失敗したな」感は全くなくなっていました。

 ホンモノはすべてのわだかまりを蹴散らし、とても素直な気持ちにさせてくれた。解説の方の真面目さも珍しくて、満足して駅へと向かったのでした。興味のある人は、お寺探しに出かけてもらってもいいんじゃないかな……。


 


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