ついさっきまでTBSドラマの「下剋上球児」というのを見ていました。今日が第8話だったそうです。ということは、日曜の夜、21時からテレビの前に行き、黙々とテレビを見て、もう2ヶ月近くがたったということでした。
奇跡的なことです。グータラでなまけもの、根気なしの私なのに、よくもまあ、8回も見ましたね。あとしばらくでドラマは終わるようです。
そう、こんな私がどうして、テレビのドラマを見ているのか、三重県が舞台になっている、ということもありますし、私は当時の熱狂を何となく憶えていたので、それとどんな風に違っているのか、そういうのを楽しみに見ています。
まわりの人たちも、少しだけ話題にしていて、ドラマの中の三重弁がすごく気になるという話も聞いたことがあります。まあ、よその人が関西風を装っても、上手くできないのは当たり前で、簡単にマネされたら、逆に私たちのアイデンティティが吹き飛んでしまう。何とも言えないイントネーションを聞き分けるのが関西人の楽しみでした。
そして、京都の人なら、「あれ、この人大阪の人かもしらんなあ」と思ったり、「なんやろ、このモッサリした関西弁は?」と思ったら、奈良の人やったり、微妙な違いを聞き分けて楽しむわけです。三重県なら、「絶対にこの人は、尾鷲の人やわ」と思わせる強烈なイントネーションがあって、しかも正々堂々、猛然と尾鷲弁でしゃべるので、「すごいもんやな」と感心したり、方言というのか、地域のしゃべりというのは、簡単には身につけられない個人の宝物なのだと思われます。
だから、ドラマで借り物のしゃべりを俳優さんたちがするのは、逆に地元民としてはうれしいくらいで、それを聞き分ける楽しみがあったりします。
「自分たちは、こんなしゃべりはしないなあ」と思えたら、もうそれだけでドラマを見ているありがたみがありました。
でも、東京で作っているドラマは、三重だけを相手にしているのではなくて、日本全国の何十万という人に届けたいとオンエアしているわけだから、三重の人たちだけを楽しませても意味がないのです。
だったら、このドラマは、よその地域の人たちに受け入れられるんだろう。私は三重県民としてものすごく不安になります。ローカルになってはいけない。でも、とことんローカルにこだわることが日本全ての人に共感される一つの方法なのだから、ぜひコテコテの三重も取り出してほしい。
ローカルかつドラマのエッセンスのあるものになってほしい。そう願いながら見ていますが、ドラマそのものは、何となく青春ドラマ風で、こういうのが今の時代に受けるわけはないよな。何だか古いよな。と思ってしまうのです。
たぶん、それなりに視聴率は苦戦しているはずです。その前が世界的な無国籍ドラマみたいだったから、あの不思議な空気感は出せてないかもしれない。
でも、その前のドラマって、話題だけど全く見ていないから、何とも言えないですし、どっちにしろあと少しでドラマは終わります。ずっとダメな子たちだったのに、とうとういつの間にか、甲子園までたどり着いてしまうようです。
それは終わりではないはずなのに、何だかまわりの大人たちは、あれがサイコーみたいな気持ちで振り返るから、あの時の選手たちがかわいそうです。でも、たぶん、したたかに生きているでしょう。そうしないことには、生きていけないですもんね。キャプテンだった子は、野球に関わったお仕事をしていると新聞にも出ていました。あれからずっとあの生徒たちのドラマは続いているんですよね。