私が通っている町には7つの白山比(ひめ)神社があります。私は、これらの神様をすべてお参りしたいと思っています。
なぜ、そんなことをしないといけないのかは、本人の私もわかりません。けれども、縁があってこの地域に通い、たまたまそこにいくつかのお社があるのを知ったので、折角だからお参りしてみたいです。
こういうことは発願しない限り、なかなか前に進みません。ほんのわずかなスキを見つけて、こまめに行こうとアクションを起こしていこうと思います!
個々の神様は担当の区域を持っておられて、集落ごとの比神社となっています。本家本元は石川県にありますが、どういうわけか伊勢神宮のお膝元の伊勢の国に、わざわざ石川県から神様にきてもらい、当地に来られると7羽の白鷺となった神様は、地域ごとに居着いてくださったということです。不思議な伝説です。何かの因縁があると思われますが、不勉強でくわしいことはわかりません。
ただ、当地方も歴史のある地域で、古事記や万葉集にも記述がある土地なので、昔は今よりも開けていたような気がします。何しろ山をいくつか越えると、首都があったのですから、古代の首都圏といってもよかったのかもしれません。その流れがずっと信長さんの伊勢・伊賀侵攻によりすべてリセットされて、一等国から二等国・三等国に格下げになったような気がします。
とにかく、大きなお寺と立派な神社さんがいくつかあった。古い歴史を持つこの地域にも、それぞれの集落で土地の神様をおまつりする力があった。それが起源が中世にさかのぼるはずですが、石川県とのつながりによって比神社を個々にいただくようになる。そして今も、これらのお社は江戸時代の建物が残されているのです。お寺もそれなりに古いお寺がいくつかあるようで、これらの歴史も要研究です。
というわけで、最近家城(いえき)神社と倭(やまと)白山比神社に相次いで行きました。家城神社は古いし、立派な木々もあるし、こぶ湯という不思議な温泉だって湧いています。でもせっかくのありがたい気持ちを分かち合う人が誰もおらず、それなのに社殿が開放されています。お参りに来た私は、まるで賽銭ドロボーに見られたらどうしようと落ち着かないのです。観光するお社ではない感じでした。
一方、倭(やまと)の神社の方は立派だし、相変わらず人もいないけど、何となくガードしなければいけないところは守られているようでした。そして、「いつまでもこころゆくまでいていいよ」というおおらかな気配があって、オープンなのに厳かで、いい雰囲気の神社さんでした。
3つの社殿の隣に「十二社」という神様のコンビニ(?)というか、マンションというのか、とにかく東海・近畿の有名な神様がまつられていて、旅に行けない当時の人々がこちらで伊勢、熱田、多度、多賀など近隣の神社にお参りできて、とてもありがたく、面白いシステムだなと感心したもんでした。石川県からわざわざ神様に来ていただいたのだから、それで満足すればいいのに、少し欲張りでもありますが、それが中世から近世の人々の夢だったのでしょうね。
この常夜灯は、伊勢神宮への道にもなり、長谷寺にもつながる信仰の道です。
★ タイトルは、江戸から明治にかけての大混乱は、日本の歴史には必要だったのかもしれないけれど、それによって失ったものも少なくなかったろうなと思い、そういうタイトルにしました。
もう断絶があります。私たちは近代の私たちで、江戸時代の私たちからは切り離されています。ザンネンながら、昔の私たちにもどる方法は、ものすごく限られているような気がします。よほど、江戸以前になろうと心がけない限り、私たちは近代の私たちとして存在し、何だかフワフワしている。
おうちを建てて、経済も豊かになり、技術あふれる生活は送っているのに、何だかソワソワして落ち着きがありません。そして、ものすごく孤独です。連帯することはめったにありません。
どうしたら、この状況を乗り越えられるのか、せいぜい考えながら生きて行かなくてはと思うのに、ついいい加減なくらしになってしまいます。……いつものショボクレ落ちを変えられないかなあ。
失ったものを取り返すのが私の夢ではあるので、ぜひこれから少しずつでいいから、近代以前を取り返し、現代につなげていきたいと思います。そうすることで、私たちの生活を変えられる気がします。それが古典に学ぶということですね。言うのはカンタン、生かすのは難しです。(2015.11.3)
なぜ、そんなことをしないといけないのかは、本人の私もわかりません。けれども、縁があってこの地域に通い、たまたまそこにいくつかのお社があるのを知ったので、折角だからお参りしてみたいです。
こういうことは発願しない限り、なかなか前に進みません。ほんのわずかなスキを見つけて、こまめに行こうとアクションを起こしていこうと思います!
個々の神様は担当の区域を持っておられて、集落ごとの比神社となっています。本家本元は石川県にありますが、どういうわけか伊勢神宮のお膝元の伊勢の国に、わざわざ石川県から神様にきてもらい、当地に来られると7羽の白鷺となった神様は、地域ごとに居着いてくださったということです。不思議な伝説です。何かの因縁があると思われますが、不勉強でくわしいことはわかりません。
ただ、当地方も歴史のある地域で、古事記や万葉集にも記述がある土地なので、昔は今よりも開けていたような気がします。何しろ山をいくつか越えると、首都があったのですから、古代の首都圏といってもよかったのかもしれません。その流れがずっと信長さんの伊勢・伊賀侵攻によりすべてリセットされて、一等国から二等国・三等国に格下げになったような気がします。
とにかく、大きなお寺と立派な神社さんがいくつかあった。古い歴史を持つこの地域にも、それぞれの集落で土地の神様をおまつりする力があった。それが起源が中世にさかのぼるはずですが、石川県とのつながりによって比神社を個々にいただくようになる。そして今も、これらのお社は江戸時代の建物が残されているのです。お寺もそれなりに古いお寺がいくつかあるようで、これらの歴史も要研究です。
というわけで、最近家城(いえき)神社と倭(やまと)白山比神社に相次いで行きました。家城神社は古いし、立派な木々もあるし、こぶ湯という不思議な温泉だって湧いています。でもせっかくのありがたい気持ちを分かち合う人が誰もおらず、それなのに社殿が開放されています。お参りに来た私は、まるで賽銭ドロボーに見られたらどうしようと落ち着かないのです。観光するお社ではない感じでした。
一方、倭(やまと)の神社の方は立派だし、相変わらず人もいないけど、何となくガードしなければいけないところは守られているようでした。そして、「いつまでもこころゆくまでいていいよ」というおおらかな気配があって、オープンなのに厳かで、いい雰囲気の神社さんでした。
3つの社殿の隣に「十二社」という神様のコンビニ(?)というか、マンションというのか、とにかく東海・近畿の有名な神様がまつられていて、旅に行けない当時の人々がこちらで伊勢、熱田、多度、多賀など近隣の神社にお参りできて、とてもありがたく、面白いシステムだなと感心したもんでした。石川県からわざわざ神様に来ていただいたのだから、それで満足すればいいのに、少し欲張りでもありますが、それが中世から近世の人々の夢だったのでしょうね。
この常夜灯は、伊勢神宮への道にもなり、長谷寺にもつながる信仰の道です。
★ タイトルは、江戸から明治にかけての大混乱は、日本の歴史には必要だったのかもしれないけれど、それによって失ったものも少なくなかったろうなと思い、そういうタイトルにしました。
もう断絶があります。私たちは近代の私たちで、江戸時代の私たちからは切り離されています。ザンネンながら、昔の私たちにもどる方法は、ものすごく限られているような気がします。よほど、江戸以前になろうと心がけない限り、私たちは近代の私たちとして存在し、何だかフワフワしている。
おうちを建てて、経済も豊かになり、技術あふれる生活は送っているのに、何だかソワソワして落ち着きがありません。そして、ものすごく孤独です。連帯することはめったにありません。
どうしたら、この状況を乗り越えられるのか、せいぜい考えながら生きて行かなくてはと思うのに、ついいい加減なくらしになってしまいます。……いつものショボクレ落ちを変えられないかなあ。
失ったものを取り返すのが私の夢ではあるので、ぜひこれから少しずつでいいから、近代以前を取り返し、現代につなげていきたいと思います。そうすることで、私たちの生活を変えられる気がします。それが古典に学ぶということですね。言うのはカンタン、生かすのは難しです。(2015.11.3)