久しぶりに孔子さんのおことばを取り上げてみます。為政編にあることばです。
そのあとに私でも知っていることばがあるので、先にそれらを取り上げてみます。
ある時、先生はおっしゃったそうです。「君子は器(うつわ)ならず」と。
岩波文庫では、「その働きを限定されなくて、広く自由であるべきだ」と書かれています。立派な人というのは、変幻自在に変わっていくことのできる人である。凝り固まってはいけないというのです。
私たちは、ついついその人物の器の大きさ、つまり寛容であるか、どれくらいの度量があるか、どれくらい他人を理解できるか、というのを大事にしています。孔子さんのいう「器」はそれと同じなんでしょうか。そういう他人への理解よりも、それらすべてを含めて受け止めたり、形にこだわらずに、変わっていけることを大切にした。
というんですけど、なかなか難しいです。あまり人に勧めるのが難しい、自分でもどのように実践したらいいのかわからない、それこそなんでもありの広いおことばです。
続いて、お弟子さんの子貢(しこう)さんが「君子」とは何かと尋ねました。みんなどうしたら立派な人間として人々を導くのか、それをテーマとして孔子さんのところに集っているのです。
先生は、「先ずその言を行い、しかして後にこれに従う」と答えました。
これは、口だけで言うのではダメ。それは君子ではない。言ったことを行っていること、これが大事。そして、そのあとでその発言をさらに実践していき、人にも忠告する。そういう姿勢でなくてはいけない、とのことでした。
いくら立派なことを言っていても、口だけではいけない。行動が伴っていないと何も意味をなさない。これは私たちにも使えそうです。口だけで立派なことを言う人はいます。でも、それをやる人なのか、途中で逃げ出す人なのか、そこで人の価値が分かれるようです。
私は、たいしたことも言わないし、たいしたこともしないダメなオッサンかな……。
3つ目も「君子」です。「君子は周(しゅう)して比(ひ)せず。小人(しょうじん)は比して周せず。」
「君子は広く親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあって広く親しまない。」
立派な人は、いつもまわりに対する気配りができている。他人との違いがあっても、それをとやかく言うことはしない。人はそれぞれであり、違いをちゃんと認め、受け入れることができるひとである。
つまらない人間というのは、他人との違いばかりに目がいき、いつもそれを不平等だ、あいつだけずるい、私にもチャンスをくれ、私は損しているなどと文句ばかり言う人である。他人に対する気配りができれば、そこに自然に慎みが生まれ、穏やかな態度が発生するのだが、それができない。
このように孔子先生は言います。
私は、「君子」になりたいけど、オッチャンになっても小人です。なかなかここから出られません。でも、それでいいとは思っていないので、少しでも「君子」になろうと思います。
久々なのでウォーミングアップできました。
それでは、今日の目玉をやります。
22【温( )知新】……昔のことを求めて、研究し、そこから新しい知識を得る。いつも基本に忠実であれ、そういう人こそが本当の師となる。〈為政〉
有名なおことばです。「ふるきを温めて新しきを知る、もって師となるべし」
有名な方々が、伝統に帰れ。歴史に学べ。基本を大切にしろ。もうすべての人々が聞かされてきたことばでした。
孔子さんもそれと同じ意味ではおっしゃったと思うのです。でも、何かあるような気がする。果たしてそれは何か? しばらくそれを考えていましたが、わかりません。
だから、そのあとの3つのおことばを拾ってきました。それでもわかりません。
また、気づいたときに書くことにします。とにかく、答えはカンタンです。
答え 22・故(ふる) 「古」も使われたりしますが、「故」の方です。
そのあとに私でも知っていることばがあるので、先にそれらを取り上げてみます。
ある時、先生はおっしゃったそうです。「君子は器(うつわ)ならず」と。
岩波文庫では、「その働きを限定されなくて、広く自由であるべきだ」と書かれています。立派な人というのは、変幻自在に変わっていくことのできる人である。凝り固まってはいけないというのです。
私たちは、ついついその人物の器の大きさ、つまり寛容であるか、どれくらいの度量があるか、どれくらい他人を理解できるか、というのを大事にしています。孔子さんのいう「器」はそれと同じなんでしょうか。そういう他人への理解よりも、それらすべてを含めて受け止めたり、形にこだわらずに、変わっていけることを大切にした。
というんですけど、なかなか難しいです。あまり人に勧めるのが難しい、自分でもどのように実践したらいいのかわからない、それこそなんでもありの広いおことばです。
続いて、お弟子さんの子貢(しこう)さんが「君子」とは何かと尋ねました。みんなどうしたら立派な人間として人々を導くのか、それをテーマとして孔子さんのところに集っているのです。
先生は、「先ずその言を行い、しかして後にこれに従う」と答えました。
これは、口だけで言うのではダメ。それは君子ではない。言ったことを行っていること、これが大事。そして、そのあとでその発言をさらに実践していき、人にも忠告する。そういう姿勢でなくてはいけない、とのことでした。
いくら立派なことを言っていても、口だけではいけない。行動が伴っていないと何も意味をなさない。これは私たちにも使えそうです。口だけで立派なことを言う人はいます。でも、それをやる人なのか、途中で逃げ出す人なのか、そこで人の価値が分かれるようです。
私は、たいしたことも言わないし、たいしたこともしないダメなオッサンかな……。
3つ目も「君子」です。「君子は周(しゅう)して比(ひ)せず。小人(しょうじん)は比して周せず。」
「君子は広く親しんで一部の人におもねることはないが、小人は一部でおもねりあって広く親しまない。」
立派な人は、いつもまわりに対する気配りができている。他人との違いがあっても、それをとやかく言うことはしない。人はそれぞれであり、違いをちゃんと認め、受け入れることができるひとである。
つまらない人間というのは、他人との違いばかりに目がいき、いつもそれを不平等だ、あいつだけずるい、私にもチャンスをくれ、私は損しているなどと文句ばかり言う人である。他人に対する気配りができれば、そこに自然に慎みが生まれ、穏やかな態度が発生するのだが、それができない。
このように孔子先生は言います。
私は、「君子」になりたいけど、オッチャンになっても小人です。なかなかここから出られません。でも、それでいいとは思っていないので、少しでも「君子」になろうと思います。
久々なのでウォーミングアップできました。
それでは、今日の目玉をやります。
22【温( )知新】……昔のことを求めて、研究し、そこから新しい知識を得る。いつも基本に忠実であれ、そういう人こそが本当の師となる。〈為政〉
有名なおことばです。「ふるきを温めて新しきを知る、もって師となるべし」
有名な方々が、伝統に帰れ。歴史に学べ。基本を大切にしろ。もうすべての人々が聞かされてきたことばでした。
孔子さんもそれと同じ意味ではおっしゃったと思うのです。でも、何かあるような気がする。果たしてそれは何か? しばらくそれを考えていましたが、わかりません。
だから、そのあとの3つのおことばを拾ってきました。それでもわかりません。
また、気づいたときに書くことにします。とにかく、答えはカンタンです。
答え 22・故(ふる) 「古」も使われたりしますが、「故」の方です。