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はたして今から寝れるだろうか?
しんどいのは確かだけど、空気をちゃんと吸えるのか、自信がありません。無呼吸で大丈夫だろうか? わからないけど、もう寝ます。
今日、少しだけ山歩きしたんですけど、最初は、「ハハーン、大丈夫。クスリ飲んでるし、花粉が来てもどうということはない」と油断していました。
本当に甘い。たっぷり花粉を吸った今は、何をしても受け付けません。もう寝るだけなので、皆様、失礼いたします。まだ8時前なのに、もう寝るなんて、ひどいですね。
でも、もう何もしたくないし、何もかも受け付けられない。
失礼しました。こんなもんなんですね。私は本当に、何事においても甘いし、根性がないです。まあ、それは最初からわかってました。
★ 翌朝になりました。ずっと寝ました。腰が痛くなるくらいに寝ました。
クスリも飲みました。漢方薬を2つ。寝坊もしました。もうすぐお仕事に行かなくてはならないです。
何度か目が覚めました。4時くらいに少しだけ本を読んだので、そのメモでもしておきます。
ホイジンガは十七世紀のオランダについて、自由とはおのれの属する団体が享受する特権のことだと言っています。人がこうした社団から追放され一人ぼっちのはぐれ者になりますと、その状態をフォーゲルフライ(鳥の自由)と呼びます。フォーゲルフライは保護を失ったおそるべき状態、狩り立てられて殺されても文句は言えない状態のことです。
ですから(中世人にとって)自由とは、自分がある社団に属しているゆえに、他の社団に属している者の持たないものを持つことができる、あるいはすることができないことをしてよろしいということなのです。
このような自由の観念はヨーロッパでは近世まで健在でしたし、わが国の江戸時代における人びとの自由もほぼこのようなものであったと考えられます。……中略……
今日の私たちから見ると、前近代的自由、つまりある社団に属することによって得られる自由とは、一面では大変窮屈な束縛を代償としているように思えます。しかし前近代社会はその点では巧妙なはけ口を用意しておりました。ヨーロッパ中世社会は巡礼・旅芸人・贋学生・乞食など厖大な人びとが遍歴し放浪する社会でありました。
これは日本の徳川期も同様でありまして、当時の日本は寺社参詣や名所見物に出歩く人びととか、遍歴する旅商人・旅芸人であるとか、遊行する宗教者とか、これまた厖大な人びとが絶えず街道を往来する社会だったのです。
これらの人びとは西洋でも日本でも、一時的に共同団体から離脱することによって自由な境涯を味わっていたわけで、そういう人びとは共同団体の規範に違反して流れ者となったフォーゲルフライとは違って、社会から遊行する者として一定の容認を受け、保護を受けておりました。
これはお伊勢詣りという現象、とくに抜け詣りといって、たとえば店の丁稚が主人の許しを受けずに勝手に伊勢詣りに出かける現象を見れば、その意味がよく了解されます。そういう抜け詣りに出かけた者たちは旅先で保護されますし、参詣を終えるともとの共同団体に復帰することができるのです。つまり前近代社会はこういった離脱の自由を制度的に保障する側面を持っておりました。渡辺京二「近代の呪い」平凡社新書2013
私は、中世や近世の旅人と、旅人たちが見た風景というのを、自分なりに探している者なのですが、こういう人たちが歩き回る社会や空気を感じたいと思っています。
昨日の山歩きは、そうではなくて、近代の楽しみだったのかな。
しんどいのは確かだけど、空気をちゃんと吸えるのか、自信がありません。無呼吸で大丈夫だろうか? わからないけど、もう寝ます。
今日、少しだけ山歩きしたんですけど、最初は、「ハハーン、大丈夫。クスリ飲んでるし、花粉が来てもどうということはない」と油断していました。
本当に甘い。たっぷり花粉を吸った今は、何をしても受け付けません。もう寝るだけなので、皆様、失礼いたします。まだ8時前なのに、もう寝るなんて、ひどいですね。
でも、もう何もしたくないし、何もかも受け付けられない。
失礼しました。こんなもんなんですね。私は本当に、何事においても甘いし、根性がないです。まあ、それは最初からわかってました。
★ 翌朝になりました。ずっと寝ました。腰が痛くなるくらいに寝ました。
クスリも飲みました。漢方薬を2つ。寝坊もしました。もうすぐお仕事に行かなくてはならないです。
何度か目が覚めました。4時くらいに少しだけ本を読んだので、そのメモでもしておきます。
ホイジンガは十七世紀のオランダについて、自由とはおのれの属する団体が享受する特権のことだと言っています。人がこうした社団から追放され一人ぼっちのはぐれ者になりますと、その状態をフォーゲルフライ(鳥の自由)と呼びます。フォーゲルフライは保護を失ったおそるべき状態、狩り立てられて殺されても文句は言えない状態のことです。
ですから(中世人にとって)自由とは、自分がある社団に属しているゆえに、他の社団に属している者の持たないものを持つことができる、あるいはすることができないことをしてよろしいということなのです。
このような自由の観念はヨーロッパでは近世まで健在でしたし、わが国の江戸時代における人びとの自由もほぼこのようなものであったと考えられます。……中略……
今日の私たちから見ると、前近代的自由、つまりある社団に属することによって得られる自由とは、一面では大変窮屈な束縛を代償としているように思えます。しかし前近代社会はその点では巧妙なはけ口を用意しておりました。ヨーロッパ中世社会は巡礼・旅芸人・贋学生・乞食など厖大な人びとが遍歴し放浪する社会でありました。
これは日本の徳川期も同様でありまして、当時の日本は寺社参詣や名所見物に出歩く人びととか、遍歴する旅商人・旅芸人であるとか、遊行する宗教者とか、これまた厖大な人びとが絶えず街道を往来する社会だったのです。
これらの人びとは西洋でも日本でも、一時的に共同団体から離脱することによって自由な境涯を味わっていたわけで、そういう人びとは共同団体の規範に違反して流れ者となったフォーゲルフライとは違って、社会から遊行する者として一定の容認を受け、保護を受けておりました。
これはお伊勢詣りという現象、とくに抜け詣りといって、たとえば店の丁稚が主人の許しを受けずに勝手に伊勢詣りに出かける現象を見れば、その意味がよく了解されます。そういう抜け詣りに出かけた者たちは旅先で保護されますし、参詣を終えるともとの共同団体に復帰することができるのです。つまり前近代社会はこういった離脱の自由を制度的に保障する側面を持っておりました。渡辺京二「近代の呪い」平凡社新書2013
私は、中世や近世の旅人と、旅人たちが見た風景というのを、自分なりに探している者なのですが、こういう人たちが歩き回る社会や空気を感じたいと思っています。
昨日の山歩きは、そうではなくて、近代の楽しみだったのかな。