遠い昔、気の合う仲間が集まって、同人誌みたいなものを作った。
みんな、それぞれに忙しいのに、時間を見つけては文章に挑戦していた。中身よりも、まわりのみんなに自分を伝えたかったのだと思う。
それくらい、ボクらは、まわりの子らと連帯したい気持ちになっていた。
別に政治的な主張があるのではなくて、自分たちの見つけた小さな世界は、どこにつながるのか、どんなふうに誰かに伝えたら、どんな言葉が返ってくるのか、知りたかったのだろう。
何か返ってきたものはあったのか?
たぶん、あったのだと思う。でも、あまりに昔のことなので、思い出せなくなっている。きっと、どう声を掛けたらいいのか、少し難しいものもあっただろうが、みんな受け止めてくれていた。
だからこそ、ボクらは懲りもせずに半年くらいの間に三号までの冊子を作り上げることができたのだ。いろんな形で支持されていたはずだ。
やがてクラス替えの時期が来て、メンバーはバラバラになり、冊子はそのままに眠ってしまった。何度か復活は試みられたが、永続的に続く形にはなれていなかった。みんな忙しかったのだ。
ボクたちは、それなりの年齢に達している。青臭い文学づくりなどはできないだろう。文学よりも、何か他の方へ関心が向いている気がする。
たとえば、親の介護、それとも財産の管理、はたまた子どもの教育、そしてやはり自らの老後、いろんなものを抱えて生きている今がそこにあるのだ。
それを素直に語り合うことはできないのだろうか。今なら語れる、ボクたちの話があるのではないか。
高校時代の友人たちと連絡はとれるだろうか。ふたたび、ボクたちの冊子が生まれる時は来るのか。
誰かが言い出しっぺになったら、再び生まれるかもしれない。そのオッチョコチョイはやはりボクなのか。おバカ加減においては自信はあるが……。
ボク自身は、先日の同窓会で提案されて、ポッと灯りはともってしまった。誰か、一緒に自分たちの冊子みたいなのを作ってみようと、メールしてくれないだろうか。
いや、もっとボク自身で、みんなに根気強く提案し続けたら、蘇ることもあるだろうか。ボクらの鼓動を再び、まわりのみんなに響き渡らせることができたら、それはもうボクたちが生きてきた証となるはずだ。