甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

島国根性と空威張り、どっちも同じ?

2018年01月21日 09時21分02秒 | 私たちの社会・世界

 ふと考えました。

 製造の現場でも、接客の場面でも、車の運転でさえも、ロボットやAIがやってくれる時代が来るということです。

 だったら、極端な例かもしれないけれど、戦争だってすべてロボットに任せたらどうなるんだろうと。

 そりゃ、勇猛に戦うでしょうけど、結局、物資が豊かで技術が進んだ国が勝つに決まっているなあ。それでは、ある国みたいに、貧乏で政治はメチャメチャなのに核兵器だけを開発している国はどうなるんだ。やはり、あの国はローテクの人海戦術と飛び道具だけで、超大国に立ち向かっていくドンキホーテなのか? 日露戦争での日本の勝利みたいなことは起きなくなるのか?

 いや、その前に、ロボットがいくら結果を出したとしても、国民はその結果を受け入れるかどうかですね。戦争は人びとのすべてを巻き込んで、人々をそう状態にさせ、見たこともない相手をみんなで憎み、おとしめようとし、その国家的な憎しみを相手国にぶちまける行為でした。

 それだけやって、相手の国にたくさんの犠牲者が出たり、自分たちも傷ついたりして、結局はお互いが心身ともにむしばまれるところまで行かないと戦争の終わりが見えない。残念ながら、どれだけ相手を殺したかの数値が大切なんでしょう(そんなの絶対に許してはいけない!)

 だから、絶対にやってはいけないことだけれど、ロボットやAIだったら、やはり相手の機械が壊れても意味はないから、相手国の人の命をいかに失わせるかを考えでしょう。そうすると、戦わないでミサイルで爆弾を落とすのが手っ取り早いから、核戦争になるだろうか。やはり、ロボットに戦争はさせてはいけない。よくSFの世界で語られるように、ロボットたちにいわせれば、人間がいない世界こそ平和なのだと彼らは思っているでしょう。

 結局、人間が犠牲にならないと戦争にならないし、その人間が戦争を起こすのであって、ロボットやAIは戦争を選択しない。

 というわけで、やはり人が人の命を奪う戦争は絶対にしてはならないし、永遠にそれをなくしつづける努力こそが人間の叡智です。

 さて、私たちの国日本は、よその国に対して、どのような態度で接してきたのか(外敵との戦争をどのように意識したか)というのを戦争の断面で見てみましょう。

 第二次世界大戦では「鬼畜米兵」でした。アジアにも蔑視するようなスローガンがあったでしょうか。調べないとわからないです。

 対中戦争に突き進んだ時、平気でよその国に、自分たちの傀儡(かいらい)政権を作った。これも中国の人をバカにした行為の一つでしょう。スローガンはきっとあったでしょう。「五族協和」みたいなのもありましたね。これは蔑視スローガンではなくて、プロパガンダでした。

 明治維新は、欧米様の権力に屈していたので、はいつくばって、何とか対等になろうと軍備増強だけを急いでいた。どんな対外スローガンがあったやら……。

 幕末には、有名な「尊王攘夷」があります。これはまさしく虚勢でした。アヘン戦争があったものですから、戦々恐々としている気持ちの裏返しで、恐ろしい欧米なんて何するものぞという気概だけはあるけれど、どうしたらそれが現実のものになるのか、どうしたら欧米の植民地にならずに済むか、それが頭がいっぱいで、モチベーションを上げるためだけのスローガンだったのかもしれない。

 「尊王攘夷」、一部の人は信じていたかもしれないが、大半の人は欧米の軍事力はすごいなあと思っていたでしょう。それらの国と戦わずして、対等になるのか、それが悩みの種だったはずです。戦わねばならないと思う人もいたし、実際に長州や薩摩は戦ってみました。それでまあ、植民地にならなかったのがすごいところです。相手が本気だったら、日本の歴史も変わってましたね。

 江戸幕府が開かれたころ、それまでのキリスト教の流入があまりにすごい勢いであったので、統治者としては、海外の国と一切の交渉を絶つと一方的に宣言し、それを国内で実施すること、その当時においては、海外勢力も日本の潜在能力など認めていなかったので、関係が絶たれても問題はなかった。かくして鎖国は成立する。

 室町から安土桃山にかけては、単なる遠来の客として接するのが精一杯で、欧米という存在は戦争をする相手にはならなかった。ですからスローガンは伝わっていない、せいぜい呼称としての「南蛮」を採用したくらいかな。先進国であり、よき貿易相手国であるというのは認めていたかもしれない。

 鎌倉期に、二度も襲来した元は、眼前の侵略者であり、これまた恐ろしかった。見たこともない武器を持ち、大船団で押し寄せ、天の助けがなければ、日本は第一回目の植民地体験をしなくてはならなかったでしょう。それを「神風」が吹き、「神国日本」とうそぶけることができた。天のお助けが二度までもあるなんて、元も運がなかったというべきか。

 中大兄皇子の時代に侵略におびえた時期がありました。この時、どのようなスローガンがあったのか、私は不勉強でわかりません。

 とにかく、虚勢を張ったスローガンや空威張りは、相手が怖いから、相手がわからないから、無理解で自己中心的な姿勢でいられる。そこからすぐに戦争というわけにはいかないけれど、みんなが虚勢を張りたがるのは良くない傾向だという気がします。

 ネットの世界は、それはもう虚勢の嵐です。みんな強気で、他者を拒否しようとしている。

 それよりも、虚勢スローガンが出ること、これが戦争のサインだと歴史を振り返ると思います。

 そんなつまらないものを振り回さなくて済むように、私たちはもっと海外の人々と交流しなくてはと思います。なのに、現実を見ると、私なんかはちっともそれができてないし、家族とさえコミュニケーションがとれていない。ちゃんちゃらおかしい。

 戦争をうんぬんするより、自分の足元からちゃんとしなくては! インフルはだいぶ良くなってきました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。