甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

広軌、標準軌、狭軌、人のあれこれ

2022年04月12日 20時55分04秒 | 鉄道のこと

 2022.4.2の土曜日の朝日新聞に、原武史先生が書いておられて、改めて何とも言えない気分になりました。そうだとは思ってたけど、やはり、そうなのです。

 1992年に山形新幹線が開通したそうです。福島から奥羽本線にのっかって新幹線がやって来て、山形は東京駅につながりました。山形の人にしてみれば、それはうれしかったでしょうか。

 うちの親戚や友人は、庄内地方に住んでいるので、わざわざ内陸の山形まで行かなくて、庄内空港から直接羽田に行く方が便利とかで、全く新幹線は関係ないのだけれど、とりあえず、内陸の山形市、天童市、銀山温泉、その他、内陸の山形の町は、東京につながりました。

 山形は、地図では小さいように見えて、実は大きいところです。庄内と、置賜と、あとどんな区分があったかなあ。とにかく、それぞれが独立した世界を持っています。

 だから、わざわざ山形市を中心にすべてを回していこうとしても、それは無理で、個々に活性化するしかないのです。港湾都市の酒田市、古い城下町と藤沢周平と先端科学の鶴岡市という庄内地方、北部は新庄・べに花の尾花沢、内陸の真ん中に山形市、南にはお肉と城下町の米沢市(あのあたりを何て言いましたかね、ここがオキタマ?)、そこにいくまでに長井市とか、ローカル地方鉄道もありました。

 あまり一つにまとまっていませんね。それは、なかなか素晴らしいことで、それぞれが輝いているし、可能性を感じます。

 新幹線によって、ある意味分断されたといってもいいかもしれない。新幹線が通ると、一部では便利になるけど、それを利用しないのであれば、今まで並みの便利さはもうありません。利用しない人はどん底の不便さが待っています。利用できない人、お金のない人、新幹線の速さがいやな人は、もう切り捨てられたも同じです。

 というんで、原先生は、新幹線以前は、山形と秋田は特急「つばさ」で3時間ほどで行けたのが、今では4時間かかることも当たり前だし、何回も乗り換えしなきゃならなくなったということでした。

 今まで特急が走っていたのだから、同じように走らせればいいじゃないの、というのは素人の考えで、秋田の新幹線、山形の新幹線は、レールの幅が違うから、どれだけ発展しても、もうつなげることはできないそうです。永遠に4時間以上の乗り換えだらけを味わうしかないのかな。

 これが人々の望んだものだったのですね? みんなが新幹線を求め、税金を投資し、東京には早く行けるようになるけれど、その他とのつながりはみんな捨てていってしまった。


 これから長崎でも作られ、北海道も札幌まで作られ、北陸は敦賀まで伸びる新幹線。みんなが東京につながることを夢見ているようですが、あと30年後、東京はどうなっているんでしょう。

 相変わらず、東京が大事という人もいるだろうけど、電気は危ないし、地震も怖いし、土地は高いし、中国の人たちがまた自由を求めて押し寄せるだろうし、もっと人は集中するでしょうか。上海を追い越すために、3000千万都市をめざしますか。すごいなあ。

 それだと、新幹線でつながった意味があるだろうけど、東京の人たちは逃げ出す人も出てくるはずです。いざ出てみたら、そんなに東京が有り難いものに見えなくなっているといいのになあと思います。

 田舎者のひがみではなくて、私みたいなつまらない人間は簡単に都会の中で埋没するし、生活は成り立たないし、私は逃げ出すと思います。まあ、ないものねだりです。もう何年も東京には行ってないです。相手にもしてくれません。まあ、行かなくてもいいけど……。


 原先生は言っておられます。

 線路幅が違えば、入れたくない列車を阻止することもできる。世界的にみると1067ミリは狭軌(JRはこれがふつう)、1435ミリは標準軌で、これより広い1520ミリ(新幹線とか、近鉄とか)の線路もある。

 旧ソ連に当たるロシアやウクライナ、ベラルーシ、バルト三国などでは、この広軌が主流になっている。

 ロシアの鉄道が広軌になったのは、一説にはナポレオンの侵略を教訓として、欧州の標準軌の車両がそのまま進入してこないようにしたからだと言われる。

 ということだったそうです。旧ソ連と欧州圏は鉄道の上でも分断されていたのですね。それを欧州並みにというのは簡単なことではなかった。

 意識的にレールの幅を少し変えるだけで、同じような鉄道であっても、簡単にはつながらない。そこにはいろんな思惑が起きてしまいます。

 ウクライナの人々が直通でベルリンまで電車で行きたいと思っても、それは無理だったんです。

 西の端のリビウまで来て、そこで乗り換えて、やっとポーランドからヨーロッパの電車に乗ることができた。逆にいうと、ロシアの戦車は鉄道によって簡単にウクライナに入ることができた。そこからは、黙々と自分で攻め込むしかないようです。まあ、そんなことはもうないだろうけど……。

 ウクライナが、これから、どんな鉄道政策をとって行くのか、それは何十年か先です。とりあえず今は、ロシア圏の鉄道になっているようです。早くレールの幅を変えられたらいいなあ。

★ それからしばらくして、ネットで日本で三つのレールの幅があるところがあるよ、というのを指摘してくれてました。それがあるのは知ってたし、三つとも乗ったことがありましたけど、確かにそうです。


 三岐鉄道の北勢線というのが、桑名から阿下喜というところまで出ていて、昔は近鉄の経営だったんですが、三岐鉄道にもらってもらって、三岐鉄道は同じようなところを並行して走っていて、昔は競い合う路線だったのに、今では二つをやりくりして儲けなきゃいけない苦労をしています。


 鉄道遺産にもなるくらい古い施設であり、石灰岩の取り出しのために作られた路線だったようです。だから、途中でものすごい山の現場みたいなところを通過して、こんなところにこんな施設があるのかと驚かされたりします。

 狭軌なのは、北勢線で、軽便鉄道といえるような車両が走っています。というわけで、三重県の桑名には、広軌の近鉄、JR、軽便鉄道の三岐鉄道・北勢線が並行して走るところがあって、ここを歩いて渡る踏切は三つの軌道を踏みしめることができるそうです。今度行ってみたいと思いました。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。