今日、二回目の記事を猛暑の中で書いておきます。何のためにこんなことしてるの?
そりゃ、やむにやまれず、むしゃくしゃするし、暑いからです。こんなに暑いのに、テレビを見たらオリンピックどうたらこうたら、誰がメダルを取れなかったとか、そんなの本人が悔しがればいいのであって、何度も本人が泣いてしまったところを流さなくていいんでないの! もうウンザリだ! なんていう私の声はどこにも届きません。テレビはお決まりをずっと続けていくでしょう。
いつか、テレビのない家に住んで、朝から晩まで人々の生活音のないところに住みたい、とは思うけれど、それも無理かもしれないな。となると、永遠にこのうるさい世の中を生きていくことになるわけです。そんなの当たり前。我慢するしかないのか……。
テレビがあるから、昨日の優勝決定戦は見ることができました。それまでは外にいました。何もかもウンザリで、メダカたちを見たり、チョウたちを追いかけたり、草むしりしたり、そんなことをしていた。
奥さんが気を聞かせてくれて、スモウをつけてくれたら、優勝決定戦になっていました。三敗同士の横綱・照ノ富士と今場所よく頑張ってた押し相撲の隆のショウ(たかのショウさんのショウがわかりませんでした)の決定戦。ホンワリでは隆の勝(奥さんが調べてくれた。オニギリくんでしょう? 何て言っている。そういうあだ名付いてるんだな。知らなかった!)さんが勝っていました。
さて、始まった。そうしたら低い姿勢で押し込もうとする隆のショウ。そのまま土俵際まで推し進んだ。けれども、照ノ富士もはじめからそうなるのは折り込み済みで、短い一瞬の間に、自分の右手で相手のまわしをつかみ、投げをうつと隆のショウはバッタリお腹から倒れてしまった。
横綱は、勝負強いのはわかっていたし、隆のショウさんは緊張で口がゆがんでいた。やることは決まっているけれど、それをいつものようにやるだけのことなんだけど、上滑りでした。
人間って、こういうものらしいのです。
何度も失敗して、はい上がってきて、やっと手にしたいものが手に入る。そういうもので、天分と努力と気力の照ノ富士さんが勝てたのも、簡単なものではなかった。
今回の照ノ富士は、横綱の価値・存在感を認めさせることができた。でも、これから照ノ富士は、どれだけ優勝できるのか、九月場所では引退してしまうのか、いつもギリギリのところでやるはずです。それくらい、万全なら彼はやれるけれど、膝の不安は続いていくでしょう。
その他には、年金制度、もう年寄りのみなさんに年金を支給する余裕はないと、政府のみなさんは宣言しました。
「いや、支給なのではなくて、返還してもらうシステムではないの? 今までそういう約束で天引きされてたんじゃないの?」
いや、そういう仕組みのはずでしたが、カネはないのです。人口はどんどん減っていくのです。ヤツラは言うでしょうね。
いやいや、人口が減っていくのは昔からわかってたことじゃないの? そう言いたいけど、ヤツラには聞く耳はありません。ヤツラの理屈で世の中は回っていくのか。
すべての価値観は見直しが進んでいる。すべてはしぼんでいくこの国のあれこれを何ともできない人たちの無策の結果です。残念ですが、受け入れていくしかありません。政治にはもともと期待してはいけなかった。自分の責任で生きていくしかないのだ。この暑さにも、自分で向き合うしかないようです。