都知事さんの人気にあやかって都民ファーストの会ができるそうです。まさか東京でそんなことが起きるとは、ぴっくりでした。
でも、都会では既成政党ではやっていけないみたいで、(すごい昔は民社党がすごく強くて、何年か前は民主党が強くて民主王国とも呼ばれた)愛知県は、名古屋市は減税にっぽん、県議会はなんといったかな、とにかく地域政党が牛耳っています。大阪も同じようなもので、維新の会が支配している。そういった限定的な都会だけの地域政党が東京にもできるということらしい。
どういうことなのかなあ。中央政権とくっついた党では何か信頼できないと思っている。とりあえず中心的な人物がわかりやすくて、おもしろそうだからやらせてみたら、それなりにやっているので、やらせてみた、というところかな。そんなに長続きするものではなくて、二十年かそこらで消滅するかもしれないし、新しい人材が出てくれば、長持ちするかもしれないし、要はどれだけわかりやすい人が現れるか、ということでしょうか。
小池さんは、都知事選に出る前は、ああ、とうとうこの人が飛び出てしまうのだと不安になりましたが、わりと上手にやっているようです。その流れで、都民ファーストの会の誕生ということになった。
小池さんは、東京にこだわればいいわけです。東京の安全安心を作り上げれば、都民は満足することでしょう。彼女はそれなりにやっていくのかな。
その小池さんを支える都民なんとかの会、ここのメンバーは、たぶん、自民党と民進党くずれの人たちが集まることでしょう。それでも彼女は自分の部下が欲しいから、とりあえず受け入れて、与党をつくるために急速に拡大するでしょうし、集まる人たちはわりとギラギラした人たちが集まることでしょう。
そして、都議選は公明党のバックアップもあって大勝するかもしれない。そこに集まった人たちは、たぶんそれでいいのだと思うはずです。
ふと思いました。小池さんの下に集まった人たちは、見事に自己実現できるのだなと。
今の世の中は、特に若い人たちは、他人が自己実現をしようと努力していると、ものすごくその人を応援してしまうみたいで、都民なんとかの会に急遽集まった人たちもたぶん賞賛されるのかもしれない。よくぞ決断した。あなたの選択に感謝するとかなんとか言っちゃって……。
昔であれば、日和見主義とか、勝ち馬に乗りやがってとか、なんでもありの野次馬野郎とか、非難されてしかるべき存在でしたが、今の世の中では非難はされません。むしろ、よくぞ決断した。それでこそ政治家をめざす人だとか、その勇気を称えられることでしょう。
なぜ、そうなってしまうのか?
それは他人の自己実現に寛容な社会だからです。それはどんどん称揚されるしくみができています。
他人が好き勝手にやりたいことをする、というのは本来は批判にさらされ、陰口を言われ、足をすくわれ、足を引っ張られするのが当たり前、それが昔の社会でした。
でも、今は違います。自分の目標に一生懸命な人は応援される人なのです。だから、フワフワと権力のあるところを渡り歩くことは本人のキズにはなりません。むしろよくぞ決断したと褒められるのです。
私はオールドスタイルの人間なので、自分の自己実現のために、次から次と乗り物を替えることが苦手です。ついそのままのんびり座っていたいタイプです。たとえ少しくらい遅くなろうが、あとから来たモノに追い越されようが、気に入った環境でモタモタしていたい。
だから、いつまでたっても自己実現ができないのだと思われます。あまり無理しているようには見えないでしょうし、あまり無理はしていません。すぐに疲れてしまうし、すぐにだらしなくなりたい、力を抜きたい人間です。
だから、誰からも応援されず、ポツンと好きなことをしていて、みんなからアイツは何だと言われるのがオチでしょう。まあ、自分で選ぶ道だから、他人からの批判は甘んじて受けなくてはならない。
そうか、今のキーワードは自己実現と変わり身の早さだったんですね。どっちもダメだなあ。だから今の私があるわけですね。そうか、自分では納得だな。
政治家になるには、変わり身の早さが大切なのです。そして、自己実現のためには手段を選ばない。情報操作なんて当たり前だし、部下を使って権力行使はバンバンやってしまわなくてはならない。しかも、責任は下っ端がとる形をしっかり作って、それで知らぬ存ぜぬ、昔のことはつべこべ言うな。私は何もしていないと白を切らなくてはならないし、それが通る世の中なのです。
それはどうしてかというと、今の世の中は、国のトップの自己実現に寛容だからです。彼がやろうとしていることをドンドン実現させてみよう。そして、ダメだったら、また新しいヤツを選べばいい。それよりも自分の自己実現もしっかりしなくちゃ、政治と関わったってろくなことはないのだから、私は私のことをしっかりがんばろう。みんながそう思わせられているからです。
みんなが自分の自己実現に夢中になっている。それぞれは他人に寛容だけれど、それがどのような結果をもたらすのか、それはあまり考えないようにしている。みんなよそを見る余裕はないのです。
そうか、アメリカもそうだったのだ。中国なんて、全く政治に不感症になって、ひたすら自己の繁栄だけを追いかけている。世界中がみんなそうなのです。ミサイルを打つアホウな国にも寛容です。きっと米軍がこらしめてくれるさと思っている。
こんなズタズタの社会に生きる私たちは、どうしたらこの自己実現の嵐を乗り越えられるのか、それを私は考えたいと思います。なかなか難しいけれど、それしかこの嵐を乗り越えられないのです。
でも、都会では既成政党ではやっていけないみたいで、(すごい昔は民社党がすごく強くて、何年か前は民主党が強くて民主王国とも呼ばれた)愛知県は、名古屋市は減税にっぽん、県議会はなんといったかな、とにかく地域政党が牛耳っています。大阪も同じようなもので、維新の会が支配している。そういった限定的な都会だけの地域政党が東京にもできるということらしい。
どういうことなのかなあ。中央政権とくっついた党では何か信頼できないと思っている。とりあえず中心的な人物がわかりやすくて、おもしろそうだからやらせてみたら、それなりにやっているので、やらせてみた、というところかな。そんなに長続きするものではなくて、二十年かそこらで消滅するかもしれないし、新しい人材が出てくれば、長持ちするかもしれないし、要はどれだけわかりやすい人が現れるか、ということでしょうか。
小池さんは、都知事選に出る前は、ああ、とうとうこの人が飛び出てしまうのだと不安になりましたが、わりと上手にやっているようです。その流れで、都民ファーストの会の誕生ということになった。
小池さんは、東京にこだわればいいわけです。東京の安全安心を作り上げれば、都民は満足することでしょう。彼女はそれなりにやっていくのかな。
その小池さんを支える都民なんとかの会、ここのメンバーは、たぶん、自民党と民進党くずれの人たちが集まることでしょう。それでも彼女は自分の部下が欲しいから、とりあえず受け入れて、与党をつくるために急速に拡大するでしょうし、集まる人たちはわりとギラギラした人たちが集まることでしょう。
そして、都議選は公明党のバックアップもあって大勝するかもしれない。そこに集まった人たちは、たぶんそれでいいのだと思うはずです。
ふと思いました。小池さんの下に集まった人たちは、見事に自己実現できるのだなと。
今の世の中は、特に若い人たちは、他人が自己実現をしようと努力していると、ものすごくその人を応援してしまうみたいで、都民なんとかの会に急遽集まった人たちもたぶん賞賛されるのかもしれない。よくぞ決断した。あなたの選択に感謝するとかなんとか言っちゃって……。
昔であれば、日和見主義とか、勝ち馬に乗りやがってとか、なんでもありの野次馬野郎とか、非難されてしかるべき存在でしたが、今の世の中では非難はされません。むしろ、よくぞ決断した。それでこそ政治家をめざす人だとか、その勇気を称えられることでしょう。
なぜ、そうなってしまうのか?
それは他人の自己実現に寛容な社会だからです。それはどんどん称揚されるしくみができています。
他人が好き勝手にやりたいことをする、というのは本来は批判にさらされ、陰口を言われ、足をすくわれ、足を引っ張られするのが当たり前、それが昔の社会でした。
でも、今は違います。自分の目標に一生懸命な人は応援される人なのです。だから、フワフワと権力のあるところを渡り歩くことは本人のキズにはなりません。むしろよくぞ決断したと褒められるのです。
私はオールドスタイルの人間なので、自分の自己実現のために、次から次と乗り物を替えることが苦手です。ついそのままのんびり座っていたいタイプです。たとえ少しくらい遅くなろうが、あとから来たモノに追い越されようが、気に入った環境でモタモタしていたい。
だから、いつまでたっても自己実現ができないのだと思われます。あまり無理しているようには見えないでしょうし、あまり無理はしていません。すぐに疲れてしまうし、すぐにだらしなくなりたい、力を抜きたい人間です。
だから、誰からも応援されず、ポツンと好きなことをしていて、みんなからアイツは何だと言われるのがオチでしょう。まあ、自分で選ぶ道だから、他人からの批判は甘んじて受けなくてはならない。
そうか、今のキーワードは自己実現と変わり身の早さだったんですね。どっちもダメだなあ。だから今の私があるわけですね。そうか、自分では納得だな。
政治家になるには、変わり身の早さが大切なのです。そして、自己実現のためには手段を選ばない。情報操作なんて当たり前だし、部下を使って権力行使はバンバンやってしまわなくてはならない。しかも、責任は下っ端がとる形をしっかり作って、それで知らぬ存ぜぬ、昔のことはつべこべ言うな。私は何もしていないと白を切らなくてはならないし、それが通る世の中なのです。
それはどうしてかというと、今の世の中は、国のトップの自己実現に寛容だからです。彼がやろうとしていることをドンドン実現させてみよう。そして、ダメだったら、また新しいヤツを選べばいい。それよりも自分の自己実現もしっかりしなくちゃ、政治と関わったってろくなことはないのだから、私は私のことをしっかりがんばろう。みんながそう思わせられているからです。
みんなが自分の自己実現に夢中になっている。それぞれは他人に寛容だけれど、それがどのような結果をもたらすのか、それはあまり考えないようにしている。みんなよそを見る余裕はないのです。
そうか、アメリカもそうだったのだ。中国なんて、全く政治に不感症になって、ひたすら自己の繁栄だけを追いかけている。世界中がみんなそうなのです。ミサイルを打つアホウな国にも寛容です。きっと米軍がこらしめてくれるさと思っている。
こんなズタズタの社会に生きる私たちは、どうしたらこの自己実現の嵐を乗り越えられるのか、それを私は考えたいと思います。なかなか難しいけれど、それしかこの嵐を乗り越えられないのです。