何日か前に片岡千歳さんの『古本屋タンポポのあけくれ』(2004)という本は読み終えていました。
そこから、いくつか抜き出しておこうと思います。適当に拾ってみます。付箋でもつけておけば良かったですけど、寒くてちゃんとやれてませんでした。
タンポポは百パーセント自分の意志で、花を咲かせる場所を選択することはできない。自然まかせ、神様のご配慮に従うしかないのだから、どんな過酷な場所でも、根を下ろした所が最良とばかりに、そこで生きるしかない。
置かれたところで咲く。自分のいるところにケチはつけないで、そこで何ができるかを考え、精一杯努力する。この姿勢は何かな。一つのところで先ずは頑張りなさいという教えかもしれない。そうしていると、まわりが違うところに咲かせてくれるかもしれないんだろうな。そういう生き方、いいですね。
私は古本屋になるなどとは、思いもしなかったが、中学卒業後、高校へ進学できずにいる時に、担任の先生が教えてくれて、岩波文庫に出合った。古典を全部読んだら、高卒にも大学卒にも負けないぐらいの力がつくと、励ましてくれた。私が古本屋をやってこられた、大きな助けになったと話したのだった。
山形で生まれ育った千歳さんは、すべてをリセットするために、関西にやって来たそうです。そこでお勤めしていて、詩を書くことに興味を抱きつつ、岩波文庫を読もうと努力されてたそうです。
本は買う人が選ぶように思うけれど、本のほうも、買ってくれる人を選んでいると思うことが、しばしばある。
本に選ばれるには、こちらも見る目を養い、かつ、巡ってくるチャンスを、意識的に多くつくることだと思う。
チャンスはあるのだと思われます。でも、心を開いて、受け止める準備をしていないと、チャンスは逃げて行ってしまう。そこが人生の不思議です。もう二度とめぐって来ないというわけでもなくて、受け止める準備ができてないとダメらしいのです。
「希一朗は剣山で、あんな枯れ枝を拾って来たつか、お父さんは、剣山でお母さんを拾って来たのに」
希一朗さんはご夫婦のムスコさんです。このご夫婦は、徳島のお山に、高知と関西から、たまたま出かけて出会ったそうです。三年間の交際期間を経て、結婚され、お互いに本が好きだから、古本屋さんを始めた。関係は遠距離だったけれど、お二人には詩の趣味と本好きという、つながるための糸があったようです。そして、高知へ千歳さんは来て、1963年から古本屋さんを始めたというのです。
運針の時、長い長い糸にして、もつれさせ、一時間の家庭科の時間は、もつれた糸のまま終わってしまうのだった。
「長い長い糸で運針する人は、遠くへお嫁に行きます」と先生はおっしゃった。一人は北へ、一人は南へ、家庭科の先生は二人の将来を、本当にお見通しだったと、同窓会の度にそのことを思い出す。
たまたま家庭の先生も、よく言われることを話してくれただけのことだろうけど、山形から北海道と高知という、遠いところにお嫁に行った二人の未来の予言になってしまいました。それを同窓会で確認したんだそうです。
祖母は文字が読めなかった。そんなせいもあったか、読んでいるものが「家の光」であろうと、何かを読んでいる時は、強いて用事を言いつけなかった。
祖母は、読めなかったがゆえに、何でも〝読む〟ことを大切に見てくれていた。私が本好きになったことは、そんな祖母の存在を思わずにいられない。
おばあちゃんのあたたかい庇護のもと、本好きの千歳さんは生まれたというのです。
また、次も抜き書きしてみます。明日もしてみるかな。