この秋、他の本は諦めて、ずっと下村湖人さんの『論語』を読んでいます。
(もちろん、他への浮気もするんですけど、浮気をする気力・体力ともにないので、ひたすら湖人さんの『論語』を、寝る前のウォーミングアップとして読んでいます。そして、コテッと寝てしまいます)
角川文庫の『現代訳 論語』と講談社学芸文庫の『論語物語』です。角川文庫は2017年の秋に古本市で買いました。学芸文庫は、1996年の夏にナゴヤで買っていました。もう何十年も『論語』に向き合っているわけですが、なかなか分かっていない私です。
そもそも「仁」とは何なのか?
孔子先生のお話で、話題にはなります。お弟子さんたちも、先生のお話の中から自分で「仁」になるヒントを探していくわけですが、こういうものだという確固たるものはないようです。記憶する知識ではなくて、それぞれが生きていく場面の中で、どのように自らが持っているものを発揮するか、実践できるか、そこが問われている。
台風・大雨で今年も大変なことになりました。だったら、すぐにボランティアに駆け付けるとか、そういうフットワークを持ちたいのに、少し遠いしと言い訳して行かないのは、仁ではありません。
トルコとシリア、イランとサウジ、その他世界各地、今も落ち着かなく暮らしている人たちがいる。でも、遠いところの話として、「大変だね」で済ませてしまう。これも仁ではありません。
だったら、自分の家族に、まわりの人に、どれだけ私は仁になれているか、はなはだ危なっかしいと思われます。だから、常に自分を叱咤激励して、「お前はちゃんと仁になれているか、人に対して失礼はなかったか、どれだけその人に寄り添えたのか」を問わねばならない。身のまわりの人に、少しでも、自分らしく、ささやかに、仁でありたいと思います。形はどうでもいいはずです。
孔子先生にどのようなお言葉をもらえるのか、想像してみるのも楽しいではないですか。私になら、「あなたは、もう少し話す努力から始めなさい」と言われるだろうか。
「とことん、自分のやりたいことをやりなさい。お酒は控えなさい。ろくなことがない。もう少し本を読みなさい。あなたは不勉強です。」
孔子先生が、私の心の声みたいなのを言うわけないか……。
「仁」は人それぞれです。でも、答えはあるはずなんだけど、私たちは先生からいただいたヒントから「仁」を思うしかありません。
37【剛毅木訥 仁に近し】……意志が強くゆるがぬ心をもち、飾り気がなくあまりしゃべらない。そういう人こそ、道徳の最高の理想である仁に近い。〈子路〉
→さて、「剛毅木訥」の読みは? ……( )
→さて、「剛毅木訥」の読みは? ……( )
ほらね、私はおしゃべりをあまりしない(できない)ということでは「仁」ではないですか。でも、強い意志はない。飾り気もないようで実は、自分なりにはあると思っているし、虚栄心もたくさん持っているし、その反対のはすっぱな気持ちも抱えている。
もちろん「仁」になれていない。でも、ボサッとして、頼りなくて、気持ちがすぐフラついたり、何か気になることがあると落ち着かない人も、自分を見つめて、人に向き合えば、「仁」という思いやりを実践できる人になれる可能性が広がる。
モッサリしていてもいいんです。おしゃべりでなくてもいいみたい。頑張りたくなります。励ましのお言葉でもある気がする。
38【巧言令色 鮮(すくな)し仁】……たくみなことばで人に取り入り、顔つきをやわらげて人の機嫌をとるような人は仁にとぼしいということ。〈学而〉
→対照的な「巧言令色」の読みは? ……( )
→対照的な「巧言令色」の読みは? ……( )
これはどうだろう。人にイヤな気持ちにさせないようにと思って、人に優しく、穏やかでいようと思ってますけど、その本質が自分に利益をもたらすことを考えているようでは「仁」ではない。もっと無邪気に・無心に人に向き合わねばならない。
滑らかな語り口、なかなかそういうのにはなれなくて、頭の線がたくさん切れているので、つなぎ合わせながらしゃべる私は、「巧言」ではないという自覚を持っています。「令色」の方は、愛想笑いとか、誤魔化しとか、これはしている気がします。
気を付けましょう。私の「仁」を探して、今日も頑張ります。三連休どこにも行かないで、お仕事をひとりでしています。これは「仁」?
いえ、仕事の効率が悪くて、モタモタしているだけです。とにかく頑張ろうと思います。
★ 答え 37・ごうきぼくとつ 38・こうげんれいしょく