西大寺、平端と乗り換えて、久しぶりに天理駅前に来ました。天理の町はクルマではサラリと抜けてくけれど、なかなか町そのものに降り立つチャンスはありません。何年ぶりだろう。
山の辺の道にチャレンジしようと、四十数年ぶりの道を歩こうとしています。アーケードを歩くのはだから三回めになるんでしょうか。
初めて通った時は、余裕がなくて、何も見ていなかった。前回来た時は、ただ珍しくて、不思議な街だというのを実感しながら歩いた。三回目の今回は、先ず、山の辺の道のスタート地点の石上神宮にたどり着けるのか、そちらの不安が大きかった。
とりあえず、山の取っ掛かり、山が近づいてきたら、神宮があるはずでした。でも、山へ行く道は数限りなくあるし、天理教の本部を抜けたらすぐと思っていたけれど、そうでもないようでした。案内板も大きくしつらえてあるわけではなかった。
早くクルマの通る道を外れて、山の中の道に行きたいのに、なかなかたどり着かない。
そうでした。時間もお昼を過ぎていたせいか、今から山の辺の道を歩くぞ、という雰囲気の人は誰もいませんでした。私一人だけが山に向かっていて何だか心細かった。
やっと山の中へ続く道を見つけたと思ったら、柿の木が迎えてくれた。
この方向に南をめざして歩けば、神社やら古墳やら、古代の日本が今もそこに残っている道があるそうです。
そうなのか。あるのかもしれない。でも、私はまるで記憶はありませんでした。確か昔歩いたはずだけど、どこにでもあるような田舎の道で、柿はたくさんなっていて、おいしそうなんだけど、そんなに珍しい雰囲気ではありません。
三重も、奈良も、同じような田舎ではないのか? 確かにそうなんだけど、こちらは歴史が今も残っているし、その歴史はまだ開発中で、知らないことはみんな土の中で眠っているようです。
そうなんです。古代でさえ歴史は埋もれているし、私の記憶も遥か彼方へ飛んで行ってもしょうがない。それくらい軽い、どうでもいい私の記憶!(いくら嘆いても、ちゃんと覚えてないのだから、仕方ありません。今をどれだけちゃんと過ごせるかですよね)
この坂道をたどれば、石上神宮にたどり着くのか?
歩く人はいないし、この写真を撮った時は一瞬曇ってたんですなぁ。
坂を上り切ったところに、神社はあるようで、私がお参りをするのはたぶん初めてで、折角だから、お参りしなくてはならない。
その前に、歌碑を見つけて、他の人ならスルーしてしまうのですが、ちゃんと人麻呂という字が見えました。だったら説明を見なくちゃいけないし、人麻呂さんはどんな歌を残していたのか。若い人なんかにゃ分からないオッチャンの楽しみです。
をとめらが袖布留山(そでふるやま)の瑞垣(みずかき)の久しき時や思ひきわれは
女の子たちがこちらにおいでと袖を振っているような名前の袖布留山、そこの麓にあるお社の瑞垣が永遠に続きますようにと私は思うのです。
神様と女の子を一緒くたにするのは不謹慎じゃないの! というのは今の感覚で、をとめらは神様の使いみたいなものなんでしょう。そうした有り難い場所のすぐそばに不思議な名前のお山があって、人麻呂さんはそこに惹かれた。
人麻呂さんがこんな人恋しい歌を作ってたなんて、しかもちゃんと神様への配慮も忘れない歌なんて、たいしたもんじゃないですか。
説明によりますと、ここからしばらく南に行ったところに、たぶん明治の初めの廃仏毀釈の嵐の中で取り壊されてしまったお寺があるそうで、そこから石を持ってきたということでした。
歌碑を神社の境内に作ろうという気持ちは素晴らしい。今は無くなってしまったお寺の石を持ってきたというのも、昔を忘れない気持ちで素晴らしい。けれども、お寺をみんなで寄ってたかって潰してしまった事実はどうなるのか。
日本国中すべてでそういう嵐が吹き荒れたから、それは仕方がなかったのだ、という言い訳もできる。でも、そこが私たちの怖いところです。破壊もするし、崇拝もする、どちらも私たちの持つ一面です。
せめて罪滅ぼしに、お寺に放置されていたものを蘇らせてみようとしたのは、私たちの良心ではあったのかな。
また、人間のとんでもなさに出くわしてしまった。山の辺の道は、そういうことをかみしめて歩かねばならない道なのかもしれない。
さあ、石上神宮にたどり着きました。拝殿の下には、ニワトリたちのコミュニティがあるようでした。みんなお昼ですけど、「コケコッコー」をつぶやいています。
お昼過ぎているし、ささやかな雄たけびでした。ここからやっと山の辺の道に入ることができそうでした。記憶云々はもういいや。私は何も憶えていないし、とにかく田舎の道は、どこであれ楽しい。一人でブツクサ歩くのも楽しいに決まっている。お腹は空いてたけど、弁当も持ってきたし、お昼を食べるところがあればいいわけです。
長岳寺まで行けば、何かが見つかるかもしれないし、何となくアドレナリンは出ていました。一人で風景の一つ一つにコメントをつけながら歩いていたような気がします。つぶやきオッサンはさらに南へ向かっていきました。