安永6年ころというと、蕪村さんは六十あたりです。そのころ、こんな詩にチャレンジしてたんですね。ビックリです。
私が出た高校は、淀川べりではなかったのだけれど、どういうわけか淀川のことを校歌に歌っていました。だから、この「澱河(でんが)」という言葉そのものには親しみというか、何となくなじみは持っていました(うちの高校は「澱江 でんこう」という風に歌ってました)。
蕪村さんは、六十を過ぎて、自分の故郷への原点回帰という意味もあったのかもしれない。大坂のふるさとは、普段は京都に住んでいるから、どういう空気が流れているのか、それは何となくわかっているんだけど、わざわざ行くところではなかったのです。
何か用事があれば、その用事のためだけに行くところであって、実はどうでもいい土地ではあった(というのか、もうそこに住む根拠・ベースがなかった)。
それなのに、彼としては、心のどこかで惹かれる土地でもあった。そして、もうこの年なんだから、何だってしてしまおう、行きたいときには行く。自らの気持ちのままに生きていこうと、思ったのかもしれません。
澱河歌(でんがか) 三首
〇 春水浮梅花 南流菟合澱
錦纜君勿解 急瀬舟如電
春水(しゅんすい)梅花(ばいか)を浮かべ
南流して菟(と)は澱(でん)に合す
錦纜(きんらん)君解くこと勿(なか)れ
錦纜(きんらん)君解くこと勿(なか)れ
急瀬(きゅうらい)舟電(でん)の如し
春の雪解け水やらが流れこんでいる川の水に梅の花びらが流されている。
宇治川は南へと流れていき、やがて三つの川が合流して淀川につながっていく。
錦のともずなを、うっかり君はほどいたりしてはいけない。
はやい川の流れの中で、舟は雷の中を行くようなことになるはずだから。
〇 菟水合澱水 交流如一身
舟中願同寝 長為浪花人
舟中願同寝 長為浪花人
菟水(うすい)澱水(でんすい)に合(ごう)し
交流(こうりゅう)一身(いっしん)の如(ごと)し
舟中(しゅうちゅう)願はくは寝(しん)を同(とも)にし
長く浪花(なにわ)の人と為(な)らん
宇治川の水は淀川の水に合流し、
交じり流れて一身のようである。
その上を下る舟の中で、願わくばあなたと添い寝をして、
末永く浪花の人となりたいものです(簡単にはなれないのだけれど……)。
〇 君は水上の梅のごとし花(はな)水に
浮(うかん)で去(さる)こと急(すみや)かなり
浮(うかん)で去(さる)こと急(すみや)かなり
妾(しょう)は江頭(こうとう)の柳のごとし影(かげ)水に
沈(しづん)でしたがふことあたはず
沈(しづん)でしたがふことあたはず
でも、あなたは水上を流れる梅花のように、
水に浮かんでひとりすみやかに流れていっておしまいになります。
私は、川のほとりで流れを見ている柳のようです。
柳の影は水に沈んでしまい、流れと一緒になることはできないのです。
★ 「菟(う)」は宇治川、「澱(でん)」は淀川、「錦纜(きんらん)」は錦のともづな。ここには
性的な隠喩とともに、思う難波男と一緒になれない伏見の遊女の悲しみが表現されているということだそうです。
★ もとネタがあるそうで、曹植(そうち)という人の詩では、
君は清路(せいろ)の塵(ちり)のごとく
妾(しょう)は濁水の泥のごとく
浮沈おのおの勢いを異にす
会合なんの時かかなわん
長逝(ちょうせつ)して君が懐(ふところ)に入(い)らん
君が懐(ふところ) 時に開けずんば
妾が心まさにいずれによるべき
あなたはきれいな道のチリみたいなものなのかな。
私は濁った川の泥みたいなものです。
浮いたり沈んだり、お互いに違う世界にいて、
出会うことはありえないし、無理なのかもしれない。
でも、長い人生の中で、いつかはあなたと一緒になる時もあればいいのに、
あなたが私を受け入れてくださらないのなら、
私の心はどこに行けばいいのでしょう。
というのがあるそうです。
★ 水なんて、川となってたら、どれも同じとか思ってしまいがちだけど、きれいな川だったら、たとえば四万十川とか、三重県の銚子川とか、どこまでも川の水と海からの水が混ざらずに、真っ二つになったり、川の水が上で、海の水が下になったり、いくつかの川が合流するところでは全く混ざらずに流れてたり、いろいろになっているのを、今の私たちは映像で見せてもらってます。
けど、蕪村さんの時代は、映像としては見てないけど、やはり一つになっても、うまく混ざってたり、混ざってなかったり、いろんなものを感覚で見てたんでしょうね。