甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

セントーサ島の夕景色、夏

2018年03月01日 22時30分40秒 | 戦争と平和

 昨夜の雨と風はものすごいものでした。春一番というのか、そんななまやさしいものではなくて、台風的ではありました。だから、春の嵐というのが一番適切かな。

 それで、和歌山では卒業式が大変なことになったり、鉄道が止まったり、あれやこれやで混乱が続きました。北陸地方の大雪を他人事として見ていた私は、今さらながら、自然のすごさというのを感じました。

 突然やってきて、木々をなぎ倒し、水を溢れさせ、道をズタズタにするのです。嵐が去っても、風は強く、花粉もたくさん飛んでいて、たくさん朝のうちに花粉を浴びて、もう一日自分が使いものにならなくて、廃人同様の対応で、ズタボロになって帰ってきました。



 家族は、やさしく迎えてくれて、お風呂に入り、少しだけふつうの人に戻りましたが、まだ炎症していて、今晩寝て、おとなしくしていたらおさまるかもしれないけれど、明日は明日の花粉がやってきますので、明日もまたズタボロになるんでしょう。



 日曜の朝から、終末感が漂いつづけています。音楽聞いてブログを毎日書いているけれど、それが何になるのか、とにかく、いろんな人に私のつまらないことを聞いてもらっておりますが、それでも、終末感はなくなりません。

 そして、突然のシンガポールのセントーサ島です。今はリゾート開発されて、リゾートアイランドになったとかいう情報をチラッとどこかのテレビで見たような気がするけれど、三十年以上前に私たちが訪れたときは、そこは戦争の傷跡の残る島でした。

 どうしてそんなところをめざしたのか、先端希望症だったのか、とことん行きつけるところまで行きたいと思ったのか、現地で何か情報を得たのか、とにかく、私たちはそこをめざしていました。

 シンガポール中心街のホテルから、バスで国立博物館の方角に向かいます。「ナショナルミュージアム、OK?」とか、単語で訊ねたんでした。

 適当な所で降りて、博物館は見ないで、もっとシンガポールの南西部を回りこみます。タクシーも使わず、地図と歩きで、排ガスをかなり吸いつつ、歩きました。

 セントーサ島には、リフトだか、船かなにかで行かなきゃいけなかったんだけど、どんなふうにして行ったのかな。リフトかな?

 島に渡ると、閑散としていて、クルマも走っておらず、とにかく海の見えるところまで行ってみようと、うちの奥さんを誘ったのです。当時の彼女は、わりと従順で、私のつまらない提案を受け入れてくれて、半信半疑でそちらに行ってくれた。

 そうすると、そこには砲台跡がありました。日本軍のものなのか、英国軍のものなのか、海に向かって要塞があって、そこから断崖絶壁になっていました。だれも観光客はおらず、いつのまにか夕方になっていた。

 そんなに簡単に夕方になるわけはないから、あれこれ観光して、たどりついたところがセントーサ島の断崖の要塞跡だった。

 そこから見る海は、一面の水平線かと思っていたら、たくさんの島々と、ところどころに工場やコンビナートが見えて、新興国の産業が見渡せたのでした。

 でも、確かに今の工業化され、発展する東南アジアの一面が見えたのだと思われますが、それより何より、そこに戦争遺跡が残っていることが、どんなに発展しようとも、ここを四十年前の日本軍が占領しようとし、イギリス軍はそれを守ろうとして戦った事実に、どうしようもないことをしていたのだと、思わされていました。

 奥さんは、その時のことがあって、戦地といわれるところは以来避けるようになりました。そうした事実はなくならないけれど、それをあえて自分の目で見ないでもいいだろうというのでしょう。いろんな人の思いが巡っている気もしたのかな……。

 私は、そうした人々の気持ちを感じたいと、あまっちょろいことを考えて、時々そういうところをめぐろうとするけれど、お城にしろ、合戦場所にしろ、どこでも人の思いはめぐっていたわけで、それをあえて掘り起こさないというのも一つの知恵だと思いますが、あえてその人々を知りたい気持ちがある時は、行きたくなってしまう。

 そんなことをするから、奥さんが来てくれなくなるのです。ああ、一人旅か……。なるべく奥さんに来てもらえるところを選んで、旅しないといけないな。

 セントーサ島から、どんなふうに帰ってきたのか、よくおぼえていません。よくぞ遭難しなかったなとふと思ったりします。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。