甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

菅笠日記05 国境のみち

2018年02月28日 22時08分33秒 | 宣長さんの旅

 宣長さんの旅は、まだ2日目です。何度か通っているはずだけれど、旅行記として書いておられるので、細かなことまでひとつひとつ取り上げていきます。簡単なようでかんたんなことではなくて、ついついいいかげんに書いてしまうものなのに、まるで初めて旅する人のように、事細かに書いておられます。

 現在の私は、近鉄で寝ていても、本を読んでいても、快速でも、特急でも、あまり気にならない、ありふれた風景になってしまっているというのに、宣長さんの真面目さ、もうびっくりです。


 すこし行きて、山のそばより川なかまでつらなりいでたる岩が根のいといと大きなるうへをつたひゆく所、右の方なる山より足もとに瀧おちなどしてえもいはずおもしろきけしきなり。

 そのまま進み行くと、山のそばから川の中ほどでにつながった岩の根っこから上の方へと連なる岩がありました。その岩の右の方から足下に滝も落ちていて、なんとも言えないおもしろい様子でした。

 又いと高く見あぐる岩ぎしのひたひに、物よりはなれて道のうへへ一丈ばかりさし出(い)でたる岩あり。そのしたゆく程(ほど)はかしらのうへにもおちかゝりぬべくて、いといとあやふし。

 また見上げるような大きな石があり、斜面から道の上に三メートルほど突き出た岩があります。その下をくぐるとき、頭に岩が落ちてきそうで、とても危ない感じです。

 すこし行き過ぎてつらつらかへりみれば、いとあやしき見物(みもの)になんありける。獅子舞岩(ししまいいわ)とぞこのわたりの人は言ひける。げに獅子といふ物のかしらさし出(い)でせらんさまにいとよう覚えたり。

 岩の下をくぐり、改めてふりかえってみると、とても恐ろしい光景になっています。獅子舞岩というふうにこのあたりの人は言っているようでした。確かに獅子の頭が突き出たように見えていました。

 さていささか山をのぼりてくだらんとする所に石の地藏あり。伊賀と大和のさかひなり。なばりより一里半ばかりぞあらん。そのさきに三本松といふ宿までは二里なりとぞ。

 しばらく山道を登り、下りになってきたところに石の地蔵さんがありました。伊賀国と大和国の境目になるようです。名張からもう六キロあるでしょうか。これから先の三本松という宿場には八キロありました。



 初瀬街道で伊賀の国を通り過ぎている宣長さんです。地蔵さん、布引の山、万葉集の歌、名張の町、あれこれ見ているのですが、スイスイ歩いているだけで、芭蕉さんみたいに地元の人と交流とか、そんなことをしていません。

 何しろ同行者は数人いて、自分たちで世界が完結していて、地元の人との交流よりも、どれだけみんなで歩けるのか、そういうのを競っているところがあります。

 もう少し、他のメンバーのことを書いてくれたらいいのに、あまり書いてくれない様子です。それよりも初瀬街道の様子を描くのに精一杯。確かに、古い街道には違いないし、天武天皇も奥さんの持統天皇も歩いた道です。もう少ししたら、室生寺や長谷寺、三輪大社も出てきます。

 実は、宣長さんは地元・自分の庭を歩いているわけだから、そんなに丁寧に描写しなくてもいいのです。でも、旅日記というスタイルをとってますから、それに徹しているんですね。

 何だか、私は、短く切って、ひとつ一つにヤマを作ってくれたらとか思うけれど、それは「おくのほそ道」スタイルで、すでに芭蕉さんが確立したものだし、もう少し近代風の、克明な、作者の息づかいが聞こえる旅日記をめざしたのでしょう。

 岩だって大事に描いていくのでした。


 春の嵐になりました。これが夜でよかったというべきか、夜だから嵐にしたのか、神様もむずかしいことをされています。明日の朝、ケロリと晴れるんだろうか。何だか不思議です。



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