昨日、19時過ぎに帰宅して、あわただしくゴハンを食べたから
(大阪の実家でお昼に赤飯食べ過ぎました。そのせいか、お腹は減らなくて、夕ごはんは適当に食べました。何を食べたか記憶にないくらい。)、夜は慌ただしかったです。
ブログも、日記を書きなぐるようで、まあ、ブログって、日記的なところもあっていいわけだから、それでいいんだけど、でも、あんまりでした。
なのに、奥さんたら、「昨日のブログはおもしろい! 大阪のお母さんのことが書いてある。お母さんが知ったら、ビックリするね」とか何とか、そんなのがおもしろいだなんて、私としてもオカンをネタにして、申し訳ない芸人さんみたいな気分なのに!
そんなバタバタした夜が明けて、土曜日の今朝は、お休みだから、朝から昨日の夜の「こころ旅」を見ました。
昨日の朝も見て、夜の放送分は録画で見て、何回も天草に行ってる気分になってきました。
82歳の元先生が、初任の地が天草の河浦町だったそうです。いくつも島がある天草の一番南の下島の、東シナ海がすぐそこの崎津集落、そこに天主堂があるようでした。
学校はどこにあったのか、とにかく、その近辺にあって、最初の頃のいろんな苦労も、入り江になっている天主堂のある集落の向かい側の向江地区の公園から、海越しに天主堂を見ると、一瞬にして忘れられたということでした。
旧道をたどったそうで、その道はぐるっと岬を回らねばならず、岬の灯台の崎津灯台あたりまで来ると、波静かだった羊角湾(ようかくわん、地図で見たら、そういう形なのかなと納得しましたけど、よくもまあ、こんなところにも工夫した名前がついてるものだと、変なところで感心したりしました)が、外海の東シナ海からの波を受けて波しぶきが出ていました。
そして、入り江に入ると、波静かだなんて、もうキリシタンの受難の時代に一瞬でタイムスリップできるくらいに、荒れ狂う波とうそのように静かな入り江を見せてもらって、当時の人々と同じ気分になれました。
海と共に生きる人々が、波静かな入り江で生活の根拠地を築き、ここでひっそり生きていた。港ではあるから、いろんなよそからの物資も入っただろうけど、そういう世の荒波は受け流して、ずっと代々の信仰は守り通して来た、だなんて! そういうのがあるのは知ってましたけど、今もそこに息づいているなんて、信じられない「奇蹟」みたいな気がしました(静かな入り江の天主堂を見てると、少し感動するところがありました)。
「奇蹟」って、信じられないこと、あり得ないことが起こること、人間世界を越えてること、あれこれ意味はあるだろうけど、あたり前のことを普通の人間がやっていて、後の人から見たら、信じられない、すばらしいこと。
そういうものって、あるのだよ、あの人は普通の人と思ってたけど、実は私たちの普通をはるかに越えてしまう高い境地にいたんだよ、みたいなこと、そういうのを最近読んだことがありましたけど、あれ(みたい)です。
キリスト教が禁止されている時代に、崎津あたりに住む人々はずっと隠しながら生きてきて、世の中の詮索からも逃れ、ずっと守り続けてきて、明治になってからやっと自分たちの信じていたものを公にすることができて、やっとそこに教会をたてた。
その教会は、後の人々は心の支えとなり、入り江の教会はいろんな人が、いろんな気持ちで見上げていた。
私は、残念ながら無宗教のオッサンですけど、尊いものを見させてもらう、触れさせてもらう有り難さは分かります。グータラだから、それをずっと信じ続けることができないけど、心にはしまって、折に触れてそういう気持ちを開放させて、静かに祈りたいと思います。
天草の下島から、海を隔てて鹿児島の長島はすぐそこです。こうしてぐるっと不知火海ができてたなんて、地図は見てるんですけど、実感なかったですね。
どんなにしたら、その土地の空気が感じられるんだろう。やはり、私みたいな鈍感は、そこに行って、とりあえず空気吸うしかないんだろうな。もちろん、鈍感だから、何も感じられないだろうけど。