甘い生活 since2013

俳句や短歌などを書きます! 詩が書けたらいいんですけど……。

写真や絵などを貼り付けて、二次元の旅をしています。

篁牛人と売薬さん

2021年12月05日 12時40分33秒 | わたしの好きな絵!

 今朝、日曜美術館を見ました。まったく知らなかった水墨画家の篁牛人(たかむら・ぎゆうじん)という人を取り上げていました。

 東京の大倉集古館というところで今、彼の展示があるということでした。もちろん、私は行けないと思いますが、ついつい見てしまいました。番組の最初に代表作みたいなのを紹介してくれましたけど、独特のデフォルメ水墨画で、私との関わりみたいなのはそんなに見つかりませんでした、

 でも、しばらく見せてもらっていると、何となく興味が湧いて、他の作品ももっといろいろ見せて! という風になるし、その人生を教えてもらうと、簡単に絵ができるのではなくて、実は私たちが見られるのはその画家さんの人生のほんの一部であり、見栄えのいいところだけを見せてもらってるにすぎない、ということがつくづくわかります。


 老子出関図というのがあって、お役所仕事をしていた老子さんが、牛にまたがり関所まで来て、そのままどこかよその国に行ってしまうというエピソードを描いていました。

 大きな牛、荒々しい感じ。その前に大きな鯉。もう何でもありで、イメージのおもむくままに描いているとしか思えない感じ。

 でも、そうなると、もう一人の大事なキャラクターの老子さんがいない。展覧会にはこの牛の右側に老子さんとセットで出展されたという写真が残っていました。なのに、大きな屏風なのに、行方不明でした。

 それが、少し話題になって、老子さんがいないというのを知った方が、私の家に右側の老子さんの絵があります、と申し出てくれて、今回の大発見につながったということですが、牛人さんの甥っ子さんが持っていたということでした。

 そうだったのか、作品はあちらこちらに生まれたままで、今やっとスポットライトが当たって来た、そして、初の東京での展示にまで達したということでした。

 「篁」というのは不思議な苗字でした。こんなの、百人一首に出てくる小野篁さんの、「わたのはら八十島かけて漕ぎいでぬと人には告げよあまの釣船」でしたか見たことがありません。本名は何? と思ってたら、親戚の方で、生家のお寺におられる方が「篁(たかむら)さん」だったので、こういう苗字のようです。富山の南砺市のお寺さんでした。

 お寺の仕事はしなくて、東京の美術学校を出て、ふるさとに戻ってきて、富山の薬のパッケージデザインのお仕事をされたそうです。

 4日の「ブラタモリ」も、たまたま富山を取材していて、薬産業は、銀行からサービス業、デザイン、交通、いろんな方面に発展していったというのを聞かされてた私は、牛人さんもそのお仕事に最初は就いていたらしいと合わせて納得させられました。

 けれども、画業を専門としたいということで、仕事をやめ、お酒と売絵業とで晩年まで生き、最後にお医者さんに見込まれて、絵を買ってもらえる関係が生まれ、大きな描きたい絵を描けるようになったということでした。

 ここにも、こんな絵を描きたいオジサンがいたようです。私には、それほど打ち込みたいこと、あったでしょうか。そこが残念です。何もかも忘れて、ひたすら何か描きたいものを求める人生、すばらしいけど、マネはできないです。



 私と富山、そんなに縁はないんですけど、いつか遊びに行かせてもらいたいです。誰か友だちできないかなあ。そんなに簡単なことではないし、少しずつ知り合いを探すしかないですね。

 デザインのお仕事、なかなかクリエイティブだと思うけれど、コツコツ儲ける感じ。大儲けしようとか、普段の生活を吹っ飛ばそうとか、そんなのはできないですね。
 

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