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坂上是則(さかのうえのこれのり)という人がいましたね。どんな人か、全く知りませんでしたし、歴史的にも知っていませんでした。
家にある角川文庫の『百人一首』を取り出してみると、坂上田村麻呂四代の孫・好蔭(よしかげ?)のお子さんなんだそうです。田村麻呂さんの親戚の方でしたか。この方は、平安時代の最初に出てきて、東北遠征などされた方でした。当然子孫の人たちも都で生活していたようです。
是則さんは、908(延喜8)年に大和権少掾(やまとごんのしょうじょう)になり少しずつ階段を上がり、924(延長2)年に従五位下加賀介に至ったということです。30年ほどの宮廷生活があったとして、それほど出世はできずに、地方官ばかリだったのかもしれません。けれども、作品は残り、新古今の時代までもずっと詠み継がれていくわけですから、社会的な地位よりも、人の心に残る作品を作るということは、私たちのめざしたいところですけど、まあ、そんなの無理矢理に残すことはできないわけだから、人に好かれるものを、人が何とも言わなくてもコツコツ作っていくこと、そういうのが大事ですね。
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電車を乗り継いで、とうとう私は桜の名所の吉野に来ました。何が見たいって、雪の寒い吉野でした。
ツイッターなどでは、吉野もこんなに雪が降ったなどというのを見つけていたので、今日はどうだろう? なんて、雪景色を期待して出かけました。
地元の方たちは、突然の雪なんて望んでないから、早く溶けてもらえたら言うことなし、みたいにしておられたと思うけれど、いい加減なリサーチで私は闇雲に吉野に来ました。
とりあえず、どこか遠くに行きたかったみたいです。
年末の、こんな押し詰まった、みんなが忙しい気持ちでいる平日でしたので、お客さんはいませんでしたし、ローブウェーも休止中でした。
蔵王堂の手前の二王門(地図には「仁王門」と書いてあるのに、工事関係の看板は「二王」になっていました)は国宝なんだそうですが、それも見られず、何しに来たんだろう。
あれこれ、私なりに考えたりはしたんですけど、それは明日書きます。
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こんなかわいらしい見本を手芸で作ってあるお店があって、本当ならどんなお味なのか、食べたくなっただろうけど、そのお店も閉まっていました。いろいろと思うようにならない吉野だったけれど、しっとりした気分を味わい、また時間をかけて帰りました。
こちらに来るときは、待ち時間が多くて、ずっと待たされることが多かったけれど、帰りはスムーズにつながって、三時間半で帰って来れました。