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最近、夢の中で杉浦直樹さんを見たことがあります。どういう役柄だったかは全く忘れてしまったけれど、出てきたとたんに「ああ、あの人だ」と懐かしくなりました。杉浦さんは2011年に亡くなられたんですね。ちゃんと確認できてただろうか。杉浦さんも、髪を分けるところ(分け目)をあんなに極端にしなかったら、普通の人だったと思うのに、髪型は鮮烈でした。ホームドラマにも出ておられたり、あれこれと活動されていました。
私も、もっとちゃんとドラマを見る子だったら、もっといろんな人情の機微に通じたでしょうに、ドラマはほとんど見なくて、トンチンカンな人間になってしまいました。今さら嘆いても遅いですけど……。
その杉浦さんを思い出すきっかけは特になかったんです。でも、たまたま高田文夫さんの本を買ったから、「そういえば、森田芳光さんの映画を彼女と池袋で見たなと映画のパンフレットも探してみました。
映画そのものはよくわからなくて、凝った映像というのか、シュールな演出というのか、最先端の映像感覚なのかなとか思いましたけど、残念ながら好きにはなれませんでした。ジュリーさんがある使命を帯びていて、それを杉浦さんと樋口可南子さんで見守っている、そんな映画だつたんでしょうか。
このあとも、森田さんは『それから』、『キッチン』、『失楽園』などのヒット作を生み出し、2011年に亡くなってしまうのでした。
高田さんが日大の芸術学部の二年生の時に、落語研究会に入ってきた一年生が森田さんで、先輩の高田さんは森田さんをお酒で鍛え、「下戸だから駄目」とかいいながらこきおろしてたら、すぐにやめてしまって、大学も二年間バリケードで封鎖されたのだそうです。
そうすると、1981年に『の・ようなもの』で長編劇映画デビューを果たした。この映画は大学の落研が描かれていて、高田さんが先輩のモデル、伊藤克信さんが森田さんの役だったみたい。
そうだったのか、森田さんは落研で挫折した自分を取り上げ、それをデビュー作にしていたなんて、何だかかわいらしいというか、原点はそこだったんですね。
森田は誰も不幸にしなかった。ずっと連れ添い映画のプロデューサーでもあった三沢和子さんを筆頭に役者もスタッフもみな笑顔で幸せに映画作りをしつづけた。〈高田文夫「誰もかけなかった笑芸論」講談社文庫より〉
ということでした。
2011年は大変な年であった。あの大震災があり、談志(高田さんの落語の師匠)が亡くなり、森田芳光が亡くなった。ショックから立ち直れないまま年を越し、2012年の四月に私が倒れ、退院してきたら中村勘三郎が亡くなった。その間にひっそりと大好きだった小野ヤスシも死んでいた。
どんなにまわりの者が大事にし、好きだと思い、支持していたとしても、その時はみな平等に来るみたいです。ただ、神様に愛される人はいるみたいだから、ステキな人は愛されてしまうんだろうな。