一太郎というワープロソフトを使い始めたのは、もう20年くらい前のことでした。まあ、かなり長いキャリアとは言えますね。私のワープロ人生の中でも最長かもしれない。だから、それなりに大事なものとして見ていました。
でも、お仕事で使うパソコンには「一太郎」は入れてもらえなくなって、仕方なしに「word」を使うことにしました。本当にイヤでイヤでたまらない、どうしてそんなことになるんだよ! と、恨みがましい気持ち、未練たっぷりで、割り切れない気持ちを抱えていました。
それで、ワードに慣れ親しんでみたら、いやまだ親しんではいないけど、何となく使えるようになって、よほどのことがない限り、もうワードでもいいな、と思えるようになりました。
やろうと思えば、仕方なしにやっていれば、それなりに人間というのは慣らされていくものだという気がしてきました。というか、それほどに私たちの「慣れ」というのもいい加減なもので、犬猿の仲、不倶戴天の敵とかあれこれいっても、よほどのことがない限りケンカする気持ちもそんなに起こらなくなりました。
人によっては、断固として許せない、絶対にあんなヤツと手を結ばないとか、言える人もいるだろうけど、私に関していえば、ケンカしないで、適当にやってみようという感じです。
1985年にK社の五万円ほどのワープロを買ったのが始めでした。それから、N社に浮気して、またこのN社は三つか四つの系統のワープロを運営し、それと同時にパソコンでも日本語が打てるようにしていたはずだから、あれこれ試していたようですね。
まわりの環境に合わせて、自分でもそれらを家の中に取り入れ、もっと活用できないか、もっと打ち込む時間を生み出せないかと、奥さんがうちの子を出産するという時期にこっそり打ち込み用の小さなワープロを買ったりしました。
それくらいN社には貢献したのですが、ワープロではなくて、パソコンの中でワープロを打ってみなさい、という世の中になりました。パソコンを仕事で開いたりしなくてはいけなくなったのは、たぶん、21世紀から? 2001年前後だったでしょうか。
そういえば、巨大なN社のワープロを仕事場に持ち込み、奥さんが作ってくれたオリジナルカバーをかぶせて、みんなからうらやましがられたのはたぶん90年代まででした。あの巨大ワープロも、捨ててしまったんだったかな。
何だかかわいそうだった。あんなに親しんで、あんなにかわいがっていたはずなのに! そんな風にして私は親しんできたものを捨てながら現在に至っているのだというのを思い知ります。どれだけ大事だったものをゴミとして出してきたことか。どれだけゴミを家の中に取り込んできたのか……。
1985年にスタートしたワープロ生活、いろいろと機械に合わせて自分も変化させられて来たはずです。でも、よく考えてみると、もう40年、内容的にはそんなに変わりのないことをしている気がします。
昔やってたことを、少し形を変えて、少しだけ今風にして、少し今の自分の気持ち・表現に合わせて作成している、そんな感じです。
なんとまあ、ちっとも変化のない、進歩のない私なんでしょう。だから、何も生み出せてないんですよ。どうしたら、違う何かを生み出せるのか? それは簡単なことではなくて、慣れ親しんだものの中から、取り出せるのか、たぶん凡百・凡千の世界の中に埋没するだけだろうけど、それでも、私らしい何かをめざしてやっていきたいと思います。
怖くはありません。日々努力、すぐイヤになるのはいつものことで、何度も気持ちを入れてやっていこうと思います。雨は上がって、明るくなってきた朝です!